(承前) ところで、ホッブスの世界観とはどのようなものか…。 >>…
jrf> (承前) ところで、ホッブスの世界観とはどのようなものか…。 >> >(…「人間は人間にとって狼である」の…)ホッブスにとりまして、自然を超える人間の能力に非常な自信を与えましたのは、何と申しましても科学の発展という実績でありまして、ことばを使いましての人間の推理能力、つまり、人間の理性というものが、何よりも人間を他の動物から区別する。自然の世界を乗り越える文化という人間のいとなみを、もっともはっきりと例示しているのであります。<(p.119) >ホッブスの場合にこの富、つまり人間の生存の手段の総量というものが、固定的に考えられていたということであります。富の社会的総量は有限であるばかりでなく、はじめから一定したものだという固定的イメイジがある。ところがその富はホッブスによれば元来生物としての人間が生存のために必要とする手段にほかならない。<(p.121) >彼のいう「自然状態」つまりいっさいの社会的統制をとりはずした人間世界には、もちろん身分制度などあるはずはありませんから、人間すべて平等である。しかもこの平等な人間が神様から命じられた第一の義務は「自己保存」(…)その手段に対する人間の欲求(…)を、端的に自然権として肯定しているのであります。(…)身分によって徳目をわりあてるという伝統的なやり方の清算(…。…)こういう「人間にとって自然であることを罪とするのは、人間の存在自体が罪だというのと同じだ」と申します。<(p.122-123) 生存への欲望は自然で、「人間にとって自然であることを罪とするのは、人間の存在自体が罪だというのと同じだ」…というパワーワード。 >もしこういう生物的人間が、他の動物のように、単に本能にだけ従って生きるものでありますならば、そこにはまだしも解決の余地がある。彼らは大体おなかの空いたときに食い、のどのかわいたときに飲み、もし、その時に食物も水もなければ、結局倒れてしまうことでケリがつく、と考えられるからであります。ところが(…)ホッブスの人間は(…)他の動物よりは知能が進んでいる。彼(…は…)先が見えるのであります。(…)複数の人間が、そのわけまえを争って、いまはいらなくても先になればいりそうなものは、何とか自分のものにしておきたい、眼の色をかえる(…ので…)あります。<(p.123-124) >こういう個人は自分で秩序をつくり、安定した社会生活をつくりだす能力に欠けているわけであります。(…)こういう不安定な、自律できない人間に他人の生存を尊重させるには、ルールを強制するしかない。無制約な欲求を生御するには刑罰の恐怖以外にはないから、国家権力はいっさい無制約でなくてはならない。そこにホッブスの絶対主義の主張が引き出されるわけであります。<(p.124-125) ホッブスは身分を否定した状態からはじめて、絶対主義を主張した…と。支配する側の能力の限界についてはどう考えたんだろう? << つまり、無制約な欲求を制御するには刑罰の恐怖以外ないから絶対主義が必要…と、SDGs とか言っても人は基本動かない、恐怖で動かすしかないから強権的政権が必要なのだ…ということらしい。ただ、「強権」のロシアや中国が SDGs を進めるかどうかはよくわからない。経済制裁の窮乏生活の中で省資源を追及するようになる…というのは、なくはないかもしれないが。