[仏教の最適化プログラムの続き。] (承前) ……。 >…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] (承前) ……。 > >空のもとの意味は「膨れ上がった」であった。<(p.85) 空は 0 であると同時に 1/0 の無限大を表し、1/0 が「膨れ上がった」ということだろうか? むしろ、空としては、極限や微分作用素・積分を考えるべきだろうか? 無限小を無限個集めれば有限に留まり、その数値はなんとでも変化できる。そのなんとでもなれるからこそ、それにより世界が作られうる…ということだろうか? >では、ゼロが虚無だけの意味であるとすると、10 という数字の 0 はどのように理解すればよいだろうか。(…)10の数は 9 に 1 をプラスして得た数字であり、0 の記号は 1 から 0 までの数を含む意味がある。もし 100000 という数の 0 が虚無であれば、その 0 を重ねて書く意味があるだろうか。この場合、一の位の 0、十の位の 0 ないし万の位の 0、それぞれ虚無なのだろうか。そうではなく、それらの 0 はかぎりなく膨張した数を表す記号ではないか。0 をもっと増やせば、0 の内容はますます膨張していく。数字のシューニャ、すなわち 0 は膨張するものなのである。<(p.88-89) >世間を空と観察することは、私たちにどんな生きる術を教えたのだろうか。<(p.95) 「諸法皆空」は simbd には何にあたるのだろう? 空であると知ること、それは世界の実相を知ることである。それを知ることで世界を変えていける。世界を「膨張」させていける。…ということではないか?本目的三条件などをそれがないところからあるところに移行するときには「エネルギー」がいると私は考えた。その「エネルギー」を与えるものこそ、「諸法皆空」が示すものではないか? simbd では「カルマ」は牢にまだ入ってないことを表すに過ぎない。「諸行無常」は soothe でしかない。そして、「諸法皆空」は、それが浸透することで、どこにエネルギーがあるかが知られ変化できる…ということでしかない。…そういうふうに言えないだろうか? 「諸法皆空」は現代で言えば科学知識の発見のようなものということになる。 空であると、ある種のシミュレーションで表せると、観じることで、できることが広がる…。本当か? <