種別[gsm] 2021-08-23T11:38:25Z
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日時2021-08-23T11:38:25Z
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[仏教の最適化プログラムの続き。] (承前)…

jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。]

(承前)

「思考と思念を深めるのがよい」は古代においては、宗教的思考も深めることでそれにより狂信が起こるという考え方もあった。それをおさめるのが「来世がないのがよい」ではないかということであった。そして狂信をおさめれば生きる確率が上がるということで「生きなければならない」にも資することだった。

それを表すのが、ARGS.nation_education_power_threshold と ARGS.faith_realization_power_threshold だった。それらは国の教化レベルが高いと国力が高くなったり、信仰理解が高いと支配層の能力が高いと判断すべきだが、それを狂信であるとして影響を遮断することで、逆に災害における予言の効果を高める…というものである。「思考と思念を深めるのがよい」が「記録の重視」を意味すると同時に「狂信」への道を開くことから、その効果がプラスにもマイナスにもなることになる。「思考と思念を深めるのがよい」が「生きなければならない」を裏切る部分もあるということである。

「来世がないのがよい」を「カルマの重視」と「反狂信の重視」に分け、「カルマの重視」は「思考の重視」にむしろまかせ、「反狂信の重視」に注力することが最大の効果をもたらすために必要というビジョンになってくるかと思う。

「いいとこ取り」はどこまでできるのだろう? 「いいとこ取り」のためには別に「エネルギー・熱心さ」みたいなものが必要なのだろう。そして、エネルギーの高過ぎる状態を維持することは本当は難しく、これがシステム三条件の一つ「リアル・自然であるほうがよい」に引っ掛ってくる…ということなのだろうと思う。

……。

このシステムには現れない「内部」で、様々な表現…転生などのバーチャルな「真実」が語られている…という想定がある。そのような「物語」で、エネルギー最大になるように、またはエネルギー最大の状態よりもよくなるように、「真実」が補強されていると考えるべきだろう。

その「真実」を補強しているのは、人ばかりではないかもしれない。神かもしれないし、我々に容易に想像のつかない摂理のようなものかもしれない。そういう「真実」の余地を認めることが唯物論的外道に陥らない仏教的態度になろう。

シミュレーションで仏教をする。…とは、どういうことか? 仏教は特に現代では唯物論的に語られがちな部分がある。このシミュレーションはそのような「傾向」を延長したところにあるかもしれない。しかし、同時に仏教は唯物論は外道としてしりぞける。ただ、このシミュレーションだけが「真実」とはしないことが、仏教によりそうことになるのではなかろうか。

……。

さて、あとは、今回述べた「ハイパーパラメータ」が意図通りに動いているか実験しながら、バグを取っていく作業が残っている。その後か、それと同時にか、LaTeX でドキュメントを書くかもしれない。