[承前]…
jrf> [承前] 生に向かうもの、老に向かうもの、病に向かうもの、死に向かうもの、それぞれ、「総体として生きたい」が必要としたものということで一元に思えるが、しかし仏教では別の四つのものとしてみる必要があるのではないか。 もうしくは「総体として生きたい」が必要としたものが「苦」なのか? だとすれば「苦」自体が我々の印象の苦しみとは違い、物理的な重みや思いこだわりをしか表していないということなのだろうか? いや、四諦を参照する限りはそうではない。 苦と感じる何かがあるということだと、「我」が問題になる。諸法無我。しかしそれは「我」ではない…。 仏性? 万物が仏になるためにこの世で総体として生きたい…と?