[承前]…
jrf> [承前] うーん、これも「仏教への教義」すなわち「仏教教義の提案的解釈」になるのかなぁ…? 「総体として生きたい」はある。それが仏性やアーラヤ識や十二縁起から説明する方法はあるかもしれないが、あえてそうしない。説明を求められたら「反作用」を持ち出して説明するが、それが確定的なものとはしない。 とにかく、理論上のテンポラルな公理として「「総体として生きたい」はある」とし、そこから「生きるべき」などを導く。これは「私の教え」ということになるのだろう。あまり新宗教をたてるような態度はよくないが、釈尊も仏教を宗教としたくなかったみたいだし、それをまねてこうするのは許されるのではないか。 「仏教教義の提案的解釈」というよりは、仏教教義と矛盾しない範囲で仮に立てる(仏教にはなさそうに見える)理論的公理…といった感じか。 仏教的根拠は基本「ない」があえてあげれば、釈尊が生を選んで寿命を全うしたことを挙げるか。