種別[gsm] 2026-05-01T19:46:10Z
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呪術官に相当するのが西洋では悪魔祓い師(エクソシスト)だろう。悪魔祓いの問題はそ…

jrf> 呪術官に相当するのが西洋では悪魔祓い師(エクソシスト)だろう。悪魔祓いの問題はそれが悪魔を「創造」してしまうことで、やがてそれが悪魔崇拝を生む。

悪魔を封印するには、まず、結果責任としての社会的制裁が必要である…というのはあるにしても、それ以外に悪魔の浄化が必要なのだろう。例えば私は次のように「悪」を「浄化」している。

拙著『宗教学雑考集』《悪》
>悪とされる心も、進化(や社会の発展など)を経て得てきた「善い贈り物」で、元来の悪はない。しかし不幸のシステムはあって、悪はなされ人は裁く。しかし、実は外の世界にある「悪しきもの」もある種の「進化」の結果かもしれない。長い目で見ればそれも偶然であり、生き残る者は目の前にあるシステムを変えつつ和解を導くしかない。許しあわねばならないのが和解ではなく、和解は子によって実体的意志を現す。<

社会的制裁はそれはそれとして必要というのは例えば、↓。懺悔は真にそれを意志した瞬間に許されている…ということらしいが、社会的制裁はそれはそれで受けないといけないとされている。

>ここに一人の盗賊があって、その盗みの犯行の当然の報いとして今や絞首の刑に処せられようとしている、あるいはまたある者が殺人罪を犯して法により車裂の刑に処せられようとしている、このときもしこれらの罪人が、「見よ、汝は今や当然の報いとして義のために責められんことを欲す」との心境に達し得たならば、彼はたちどころに浄福を得るであろう。まことにたとい我々がいかに不正なる人間であろうとも、もし神の我々になし給うところ、あるいはなし給わざるところを彼より見て正当なるものとして彼より直接に受取り、義のために責められるとすれば、我々は浄福であることができる。<(エックハルト『神の慰めの書』p.102-103)