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jrf> >(…Axelrodの…)メタ規範ゲームの結果は、社会的ジレンマ状況では、非協力的行動をとった人を罰するだけでは協力的な社会は必ずしも実現せず、罰しなかった人を罰するというメタ規範があれば協力的な社会が実現することを示唆している。<(高橋真吾 他『社会システムモデリング』共立出版, p.130) これは私の注目されない状況を説明しているのではないか。私が裏切っているか、少なくとも裏切り者を罰していないから、社会的に「無視」という罰を受けているのではないか? 私はどうもデビルマン的人物と目されることがあるようで、裏切りのある人物だと見られているように思う。理系を裏切るとか、通常の表現の自由派でなく刑法175条は維持すると主張するなどで裏切っている。…と。ただ、私自身は正しいことしかやってないわけではないが、十分正しいこともやっていると自負している。自分なりの正しさを優先することが、「罰」につながっているならやるせない。アクセルロッドのメタ規範ゲームが社会に受け容れられて「罰」になっているのではないか。 これを反転させる方法はないものか? こういうメタ規範ゲームの拡張を考えてみたらどうだろう。一定の確率で「裏切り」は裏切りではないとする。その場合、裏切りとして罰した者は、逆に裏切りと判定される。それでも罰しようとしない者は一定確率で罰されなければならない。罰しようとしない者が罰される確率を制御することで、社会が協力的になるか非協力的になるか見る。…ということはできないだろうか? 今度 AI さん達に手伝ってもらって試してみよう。