その後成仏する男性に転生することが予定された女性の「菩薩」は、次もすぐに男性に転…
jrf> その後成仏する男性に転生することが予定された女性の「菩薩」は、次もすぐに男性に転生せず、その後も女性として転生して、世を救おうとするのかもしれないな。これはこの世に立派な女性が多いのに、その後成仏しそうな男性が稀少であることを説明しうる。 これは以下の論を受けている。 拙著『宗教学雑考集』《変成男子》 >仏教には「変成男子[へんじょうなんし]」という教えがある。女性は死後すぐに成仏することはできず、一度、男子として転生(変成)してからでないと成仏には致れない…というものである。 もちろん、初期仏教は女性が僧になれるという点で、画期的な宗教であったし、『勝鬘経[しょうまんぎょう]』のシュリーマーラーは、ブッダと同等の智慧をもつ者として扱われているなど、仏教の中には女性を低く見ない伝統も確かにあった。しかし、それは逆に例外的な部分で、昔の宗教にありがちな女性を一段下に見る伝統のほうが、仏教にはよく見られる。 ただ、それはそれとして、私は変成男子の教えに別の解釈を与え、女性の納得を得たい。私は、「変成男子」についてある種の予定説をもたらすものとして擁護する。 まず、「悟り」というものが早く得られることが良いこととは必ずしも言えないのではないかというところをスタートとする。確かに、様々な因縁により色々な生を経てなかなか成仏できないよりは、今生で成仏を遂げることは良いことであろう。しかし、悟りを開いたお釈迦[しゃか]様はそこですぐに入滅なさらなかったことは、悟りを開いた後の生、成仏が決定したあとの生も何がしかの意味がある、特に周りの他の生に対して意味があることを示していると考える。 大乗仏教からみて「小乗」とさげすむとしても、当の上座部仏教では大を尊ぶとは限らないように、「悟り」が早いことが良いことと考えるのは、ある種の人々の価値観の吐露に過ぎない。悟りがいずれあると決まることは大事で、そこから道を逸[そ]れないとしても、いつ悟るかは運命みたいなものにまかせれば十分なのかもしれない。 女性は、今生で成仏が決まらないのは、来世で成仏できるほどの因縁を積むその忍耐力が期待されてもいるからではないか。その残りの生で菩薩のように周りに良い影響を与えることができると考えるのである。 浄土に往生するという場合、それは即ち成仏となるのか、そこで成仏するのか定かではないが、この世に再び生を受けるに相当するあり方をするなら、そのとき男の姿を必ず一度はとるのが必要なのかもしれないが、成仏後と目される姿が必ず男であるとは限らないだろう。 今生で女性が成仏に近付くことによって、次に転生してきた男性・または(成仏はもっと先でも良いとして)もう一度女性として転生することを選んだ女性が、人間の世界において善行を積める。そういう男女はある意味成仏に選ばれている・予定されている。…として予定説的果実を受けとることができるのではないか。(予定説的果実については《義認説と予定説》を読んでいただきたい。) 我々が見る世の中には成仏が約束された生がある。ただし、その約束は「他者」である(過去世の)自分の行動の結果であるというのは、予定説よりも踏み出したところか。 もちろん、男性だって悟りが遅くてもかまわない。例えば、悟りが遅いアーナンダがいる。でも、そういう者はえてしていつまでも悟りを先に延ばし衆生を助ける側にまわろうとしがちである。それはそれで苦であるとして、悟りが早いことを良いこととしてもいいよ…男というのはまず自分を救おうとしがちだよ…というのを方便で示したのが、「変成男子」なのではあるまいか。 なお、以上が方便ではなく真理だとすれば、変成してきた男子は確実に大量にいるはずで、じゃあ、その現実の男子を女子が見てどう思っているかという問題はそれはそれであるのかもしれない。 <