種別[gsm] 2024-05-05T17:10:25Z
セクショングローバル共有メモ
日時2024-05-05T17:10:25Z
元URL(URLなし)

『宗教学雑考集』正式版に足す予定の節「結果主義」、章は旧論のどこか。ここで公開し…

jrf> 『宗教学雑考集』正式版に足す予定の節「結果主義」、章は旧論のどこか。ここで公開しておく。

  ** 結果主義

結果主義「結果が出なければ何もしてないのと同じだ」…という考えを私は支持する。ただし、本を読み終わっただけで結果だし、ブログや Twitter (X) に書いて残っていればそれも結果だ、と結果のハードルを下げて、ではある。いろんなことに一応の区切りをつけようとすべきだという心構えとして受け容れている。

努力も重視すべきだが、努力する者自身が成果を積み上げたがるというのはギリギリありだと信じている。

確か、かつてのマイクロソフトが結果が手るまでプロダクトに投資するという話を聞いたことがある。この主義の一つの現れであろう。

『徒然草』第82段で、兼好法師は、古くなって巻の揃ってないような巻き物や、建て物に「作りはてぬ所を残す」ことを称揚している。しかし、私はそれに異を唱える。マンガなどで作者が死んで未完のものほど切ないものはない。みすぼらしくても区切りというのをつけるクセは必ず必要に思う。それを(その「みすぼらしい」のを)「あさまし」と兼好法師などは見るのかもしれないが。


勝って伸びるのは難しい。ただ、世の中恐ろしいことにそういう人間はいる。たいがいの人は負けないと不足に気付かないとはしたいが…。

負けて得るものはない。負けて悔しいと努力して、そこで終らず、何かを実現した、「勝った」とき、はじめて「得た」と言える。得るのは勝ったとき。

勝って得べきを勝たずに得るのは自分をダメにする。どんな小さな勝利…「成果」でもいい。勝った己の眼を通してのみ、負けて苦しむ葛藤が作る自分を吟味[ぎんみ]しうるのではないか? (ちなみに愛は「得るもの」ではないとでもするかな。)


ただ、私がそう生きた結果はかんばしくない。私は結果主義で、一つ一つ完成と言えるところに持っていくことを重視し、簡単なシステムでヨシとした。でも簡単過ぎて他の人の興味を引き出すことができず、結果、使われずに自分の進歩にもつながっていない気がする。「高遠なこと」を求め過ぎるというか、「あさっての方向」を求め過ぎたという面はあるかもしれない。


これに関連して、「やってみるほうが早いことがある」というのも私の信念にある。

「やってみるほうが早いことがある」については、特にプログラミングから学んだ。学生時代、プログラムでやりたいことがあるとき、そのアルゴリズム等の解説や、プログラムを探し、さらにその理解の手間をかけるより、自分で作ってみたほうが早いということが常だった。

ただ、それもインターネット検索によって、探すほうが早い場合も出てきて、あの頃のままでは通じなくなってる。今なら、この信念を抱き続けるには、探したプログラムよりも、自分で書くことで得る経験が、回り道でも急がば回れで、あとあとのコーディングスピードを増すことになる…といった要素を前に出す必要もあろう。

(続く)