マックス・ウェーバー『支配について』(岩波文庫)を読んでいる。…
jrf> マックス・ウェーバー『支配について』(岩波文庫)を読んでいる。 官僚制について鋭い洞察が続く部分。ちょっと離れて、選挙でえらばれる「官僚」についての記述がある。 >支配される側の人たちによって[選挙などで]選出された役職者はもはや純粋な意味での官僚制的な人物ではない。 当然ながら、選挙が[手続きとして]形式的に存在しているからといって、その背後に任命が隠れていないわけではない。ここで任命というのは、国家の場合はとくに[政権]政党の[実質的な決定をしている]長(Parteichef)によるものである。 <(I, p. 84) ただし、長に選ばれるとはいえ、選挙を経れば、普通の官僚より独立的になるし、非専門的でもかまわないことになることはウェーバーも指摘している。 これまで私が日本の選挙を見てきての感想に過ぎないが、どうも「接戦」などが演出されることがあるようだ。政党がカルテルしてるのか、わざと同政党が複数候補を出したり、有力政党がこぞって立候補させたり逆に立候補させなかったり。それで決まった当選を演出している…というよりも、接戦にして「民意を占う」ような側面のほうが強い。だから、単純な票のコントロールとも違う。 それはどこからなされるのか、ときには、日本に決める力がないことを、無力感を味合わせるための外国や企業などからの圧力などもあるのだろう。おそらく党の幹事長や選挙対策委員長には、圧力やうまみがあるのだろうとも予想できる。