種別[gsm] 2023-05-19T05:02:41Z
セクショングローバル共有メモ
日時2023-05-19T05:02:41Z
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因果応報と偶然性は関連がある。悪があるとしても、それは長い年月を考えれば、偶然に過ぎないとできる。偶然なら応報の必要はなくなる。

「ブッダ」と菩薩の次元における違いを考察したことがあるが、それを念頭に置きながらもう一度、考える。

「ブッダ」による因果応報の超越は、偶然とはならないラインを決めそこで応報すべき善悪が釣り合うところをその「ブッダ」の世界とすると考えられる。それは数直線上の無限に至るかもしれないが、それを次元として超えるものに対応できない。時代によって偶然には偏りがあるから、応報がうまく釣り合う「仏国土」はバーチャルな世界も含めて、たどっていけば一定の世界になる。

菩薩は、善悪に偏りがあってもよく、その分、様々な次元で…つまり偶然の状況に対応しうるものとなる。しかし、それは一つの世界を構成しない。一人の在り方でしかない。

神はそういった一定の世界を偶然の可能世界がどう現実に実現しているかによって、意志を見出される。仏国土がバーチャルにいろいろあるとしても、それを現実にどう切り取るかの問題のほうが大事になる。神にはさまざまな「仏国土」が縮約された「現実」がある。(「鬼神は起信なり」…とどう関連するか?)

善いとは何か。善くあろうとすることとは何が違うのか。…という論点はありうる。私は仏教において何を善とするかは三つの基準を決めた。しかし、その詳細は「シミュレーション仏教」の枠組みでも簡単なものにならなかった。「ブッダ」の悟り方にもいろいろあるのかもしれない。

「ブッダ」の在り方がいろいろのように、因果応報とこの物理世界との対応のさせ方はいろいろ在りうるのだろう。しかし、現実は一つと見るべきで、神の在り方は「ブッダ」ほど自由ではないのかもしれない。