(承前) ……。…
jrf> (承前) ……。 神秘的体験といっても、様々な人に「啓示」は与えられていくもの・きたものであって、(少なくとも現在は)体験さえすれば一気にすべてがわかるようなものではない。神は理性だけでわかるものではないが、理性(・知識・知恵)がなければわからないものである。 イスラム教などでは「最後の預言者」性を問題にする。教えを主に言葉で神から直接与えられるようなことは、もう現在においてはありえないと理性でわきまえるべきなのだ。誰か・何かの言葉を神のものだと体験したとしても、その言葉をもはや鵜呑みにしてはいけない。 そして私の経験から言えば、何が正しいかを上位存在と争うことはあっても、教えのようなものは自分で見つけるだけで、基本的には自分という人格がこの先どう生きるのかの示唆を受けるだけだった。(そしてその通りには生きれていないが結局はみじめに生きるということだけは合っている。)