種別[gsm] 2021-12-07T07:42:35Z
セクショングローバル共有メモ
日時2021-12-07T07:42:35Z
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経済シミュレーションの話。追記。(一連のメモは…

jrf> 経済シミュレーションの話。追記。(一連のメモは [cocolog:93150989] にも書いた。)

シミュレーションの内部の知財まわりの話。

知財は買うことによって現金または借金 liability が取引され、買った側の知財量が買った額以上に大きくなるという特徴がある。借金はいくらでもできるため、高い知財量をほこることが可能で、高い知財量があると、買われることで現金収入がたくさんできるということになる。

しかし、この現金のやりとりというのが現実の経済では観測しづらく、上でした大学などで雇われることで利益が実現されことでやっとこのシミュレーションは妥当との観方ができるということであった。

さて、高い知財保有者が高い労働者としての優位性を持つというのはありうる話である。高踏遊民的に働いていないが、優位性は高く高い「生活保護」を受けているというのもありえない話ではない。…そうするべきか?

高い知財を買ったことで借金が増えた者は、本来は勉強するために労働する時間がないことも想定できるのではあるが、それは将来、労働しなければならない…ということを貯めること…ということで、労働しなければならない=借金という形になるのは、間違ったモデル化ではないと考えられる。知財を買う側については問題は少ない。

問題は知財を売る側である。知財を売ったものが現金を得るのは、労働のしなくてよさ…を受け取っているということになるのだろうか? 複数売る場合もありえるが、労働のしなくてよさをさらに受け取るということなのだろうか。これは少しおかしな感じがする。

労働しなくてよさ…というのを贅沢と言い変えてみよう。知財は贅沢品だろうか? 知財を売ったものが現金で買う贅沢品が実は本来の「知財」そのものである…と。そのような「知財」という贅沢品は、買えるものが知財量が多い者に限られているし、知財量が多い者が買う贅沢品は「知財」に限られている。…ということにする。…それでいいのだろうか?

いや、カッコ付きでない元々の知財の購入がそもそも贅沢品の購入でもあったのではないか。購入者が、売った者の贅沢品を本当は買った者である…と。ややおかしな論理だが…。

前に、贅沢品をどれだけ買えたかで個人の幸福度を測ろうと考えたことがある。贅沢品の量は額で見るか、個数で見るかは決まってなかった。知財を買た者は、贅沢品を買ったのと同じだけ幸福度が上がるとしてはどうだろう。個数で見る場合は知財額をその期の贅沢品価格で割ったものを足せばよい。そして、知財を売った者は、幸福度に貸しができる…すなわちマイナスの幸福度になり、その後、贅沢品を買ったとき、そのマイナスの幸福度がプラスになることで、実際には、知財を買った者が贅沢品を買ったことに相当するのを表現してはどうだろう?

知財を売る者が幸福度をプラスにしていくため買う贅沢品は、きっと出版権や講義権といった「贅沢品」なのだろう。それは売る人の物というよりは売る人から買う人のためのものとできる。

ただ、本の売買とかはありうるから、幸福度は完全にマイナスにするのではなく、一割ぐらい加減して、現金の受け取りも多少あり、売った者が自分のための贅沢品を少しは買えるとしたほうが良いかもしれない。

しかし、一割というのはわかりにくい。そこで、そうではなく、現金収入できる手段を別に作る…という方向から、先に述べた「高い知財保有者が高い労働者としての優位性を持つ」という方向を入れることが考えられる。今はその方向で行きたい。