[仏教の最適化プログラムの続き。]…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] このシミュレーションは「自分で勝手に決めている」部分がとても多い。研究者の多くは、自分で勝手に決めることの空疎さに耐えられず、こういう「研究」を一段低く見、やろうとしたがらない面もあるのではないか。 私がそういうのに平気なのは、まず「研究者」から脱落していて、「研究」の質が上質かそうでないかについてこだわりがないことが第一にあるが、それともう一つ、大事な点として、私が、大学(院)時代に、数学基礎論…というか Logical Framework 論を試ざしていたことがあると思う。 Logical Framework 論では、論理の完全性がほぼ成り立たない中で、論理の健全性…作った論理体系が consistent (無矛盾)であることが大事になる。consistency を示すのは、ある論理体系をそれを解釈できる無矛盾な別の体系での一つのモデルに帰着することでなすことができる。 ある論理体系をいいたいときに、一つのモデルがあればいいという重要なところである。私のシミュレーションは、そういう一つのモデルとして意味があればいい。それが、正しく意味をとらえているかは、脇においておいて、正しい可能性がある…consistent であるということは言える。それだけに意味を見出せる。consistency さえあればいいと信じている。…それが私の強みになろう。 たとえば、カルマの自然減少の式が Δk = 0.01 * (1 - k) ** 1.8 だということについて、それに普通の研究者はあまりに根拠がなくて、躊躇してしまう。しかし、私はできあがったモデルの中でそれなりにもっともらしいなら、一つの可能性として成り立ちうるので意味があると考える。そういう違いがある。 繰り返しになる部分があるが、この「研究」のベースにあるのは、シミュレーションを通じた確率論に興味があったこと、ゲームが好きなこと、宗教に関心があることもそうだが、もっとも大きいのは、Logical Framework 論が難し過ぎ、研究者として挫折したことが影響している。もし、Logical Framework の研究者として成功していれば、このようなアヤしげなことには手を付けようとしなかった…その暇がなかったであろう。 もし千に一つ、この「研究」を引き継ぎたい…理解したいという者が現れるとしたら、その「リアルさ」に意味があるとは考えず、正しい可能性があることだけに意味を見出して欲しい。 別の人がこれを「研究」するとき、あまりに根拠レスなので根拠が欲しくなったとき、もっとも安易な方法としてできる方法が一つある。それは、作った私の信頼性を高く設定することである。「私が言ったこと」だから根拠がある…というのだ。 しかし、そのように私をまつり上げるのはやめていただきたい。万に一つももしそういう考えでいるということは、ひょっとしたらその人は「この文」の部分の修正されたものを読んでいるから誤解しているのではないか。しかし、本来の私はミスの多く偏りがある人間で到底そういう評価にあたいしない。あくまで正しい可能性があるということに意味を見出す方向でいて欲しい。 権威は私からは得られない。他の誰か(「あなた」かもしれないが)からのちゃんとした研究に基づいたものを権威とすべきだ。他の誰かが私の替わり権威を保証してくれる・保証できるのであれば、私はそれについて「正しい可能性」だけでガマンすべきだとは言わない。