[仏教の最適化プログラムの続き。]…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 「犯罪を起こす・起こされるに関連する憎しみは本人のものだけ」と書いたが、加害者・被害者が選ばれたあとなら、一期あたりの数が少ないので、死者の恨みを参照しても計算量的に問題ないかも。親・兄弟・子供・孫うちの死んだ者について、恨むほうも恨まれるほうも参照する…。 犯罪には軽犯罪と重犯罪があるとし、処理はまったく別物にする。軽犯罪は、窃盗とか詐欺とかで、1期に100件ぐらいあり、そのうち 10件ぐらいが捕まるものとする。重犯罪は、強盗や殺人とかで、1期に5件あれば多いほうで、2件に1件ぐらい捕まるものとする。 軽犯罪は、犯す方は資産(prop)がやや増えるが、被害者は、通常の営業損のうちに数えることになるだろう。軽犯罪は、誰が犯すかは計算するが、誰に犯すかは計算しない。よって、誰に恨みがあるか自体を参照せず、貧乏か、恨みのストレスがどれぐらいか…から罪の犯しやすさが計算される。 重犯罪は、重犯罪の中にも重い軽いがあり、重いと一家皆殺しされ、軽いとケガと財産が失われるだけで済む。加害者が決まったあと、死者の恨みなどを計算して被害者の候補のうち、誰が被害に合うかが決定され、その後、害の大きさが決定される。加害者は、死者の恨みがある者を狙いやすいが、宥められた死者の恨みがあるほうが害は少なくなる感じにしたい。 罪を犯すと「カルマ(業、karma)」がたまることとする。ただし、このシステムにおける「カルマ」は、それがあると牢に入れられる可能性があるもので、牢に入れば消えるものとし、仏教的なカルマとは概念が異なるものとなるだろう。軽犯罪は karma 0.1 から 0.3、重犯罪は karma 0.7 から 1.0。すでにカルマ k1 を持っているものが カルマ k2 の罪を犯した場合、カルマは k3 = max(k1,k2) + 0.1 * min(k1,k2) に更新される…としよう。カルマをすでに持つ者は、それより低いカルマの犯罪を犯しやすくなるとしてよいだろう。 ……。 これまで考えて来て「来世がないのが良い」に悪い効果はなかった。「来世がないのが良い」にデメリットはないのだろうか? …ないはずがない。 「生きなければならない」より「来世がないのが良い」を重視することで、例えば戦争時に勇猛な戦いができなくなる…ということはないだろうか? これはつまり、狂信に陥いると戦争に弱くなる…ということだが、それはすでに組み込まれている。しかも、以前の説明では、狂信に陥らせないように、「来世がないのが良い」が出てくるという話で、話が逆だった。だから、このセンは少し違うのだと思う。 「来世がないのが良い」だと、戦争を起こして人が死ぬよりは、子供が産まれにくくして人口調節するほうが選ばれやすいという話だった。「生きなければならない」より「来世がないのが良い」を重視するデメリットは、子供が少なくなり社会の変革などへの圧力が小さくなる…ということを挙げてもよいだろうと思われる。 「思考と思念を深めるのが良い」よりも「来世がないのが良い」を重視するデメリットは、直近で論じた tombs の関係から何か言えるかもしれない。「思考と思念を深めるのが良い」を重視すれば、記録が重視される。管理されない tombs も含めれば、記録を重視したほうが tombs が大きくなる。しかし、「来世がないのが良い」を重視すると、管理された tombs の割合自体は大きくなるが、tombs の数自体は少なくなるのだと考えて良いのではないか。 それにより、Tomb が残りやすい金持ちの周りは、「来世がないのが良い」を重視する社会のほうが穏やかだが、貧乏人まで含めると、「来世がないのが良い」を重視しないほうが結果が良い…とか起きうるのではないか。 いや、「来世がないのが良い」を重視する社会は、軽犯罪は防止されるが、重犯罪はむしろ起きやすくなる…といったほうが、それっぽいが、そのためにはどういうシステムにすれば良いのか…。「思考と思念を深めるのが良い」を重視するほうが、深い反省があるため、どこかで宥められた者がおるのを思い出すことができ、重犯罪が防止される…という感じなのだと思うが…。