音楽鑑賞。 メータ指揮 ビナスコ演出…
jrf> 音楽鑑賞。 メータ指揮 ビナスコ演出 フィレンツェ五月音楽祭2020『ヴェルディ: 歌劇「オテロ」』(収録: 2020年11月30日 フィレンツェ五月音楽祭劇場, 放送: 2021年7月11日 NHK BS P) を録画して観た。 『オテロ』は、2001年のドミンゴ主演の DVD を最近観ていた([cocolog:92859212])。劇としての感想などはそちらを観ていただきたい。 録音としては、2001年のもののほうが迫力はあったが、細やかさなどはさすがにこの放送のほうが音質が良かった。 この演出において気になったのは、ムーア人のオテロが肌を黒く塗っていない点。「御時勢」なのかもしれないが、それは、演出上の必要性から許されるべきことではないのか。差別するために黒く塗るのではなく、差別にも苦しんでいる心を描くために黒く塗るんだろうに。 それとも黒人はそれを許さないほど狭量とでもいうのだろうか? そのほうが差別だろう。有色人種もいつまでも許さないというわけではない。しかし、忘れないことは必要だろう。「リベラルの歴史修正主義」ほど昨今、私にとって許しがたいものはない。様々な「呪い」を文字に託したまま活きのびさせる漢字文化圏の人間だからそう感じるのだろうか。 ドミンゴに比べると、サルトーリのオテロは「ブ男」で、コロナの影響か、キスさえ許してもらえない。有色人種の悩みが、ブ男の悩みになってしまっている。それは国家間の緊張から来る憂いを個人の恨みに転換するもので、物語の中核をゆるがすものではないのか。 これが「現代的演出」なら、歌っていることと劇の要素が違うというのは普通のことだから、そういうものか…で済んだのだろうが、割と伝統を守っているのに、この「ていたらく」は…などと思ってしまった。 まぁ、私のような古い人間向けの演出ではなかったということなのだろう。