[仏教の最適化プログラムの続き。]…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 本目的三条件…「来世がないのがよい」、「生きなければならない」、「自己の探求がよい」(あらため「思考と思念を深めるのがよい」) について最適化をしているとして、そのような最適化をやめた場合どうなるか? まったく三条件のどれもないというのは考えることが難しい。ただ、「来世がないのがよい」「思考と思念を深めるのがよい」をあきらめ、「生きなければならない」のみが残るような「原始状態」を考えることはできるだろう。 「生きなければならない」のみが支配する世界では、そうでない世界に比べ、生きるための犯罪や戦争が起きやすいと考える。それは逆に生きにくい世の中になっているものと思われる。 そこで善の価値の重視などを行う…というのは、「思考と思念を深める」という方向性になるのではないか。つまり、ここでは因果応報的な価値の流布が目的とされ、そのために輪廻などの信仰が形作られる。「思考と思念を深める」には古代においては、信仰を大きくすることも含まれる。それにより、経済的に僧達が生きられるようにもなってきて、犯罪などをせずに生き残る方法が増える。 しかし、以前、信仰理解や教育が国力などへ与える影響には threshold があって、その threshold が高過ぎると狂信が起き、予言の有効性などが薄れるという話をしたが、そのような狂信がやがて起こってくることになる。 これを防ぐために、「来世がないのがよい」という価値観が現れるのではないか。 「生きにくい世の中」「予言の有効性が薄れる」というのは「生きる」のが難しくなるという点で、「生きなければならない」を徹底できるなら、それだけで他の二条件が現れうると考えられるのかもしれないが。しかし、誰かがその思考に到達できても、それをすべての人が徹底することはできないものである。そこに他の二条件の価値がある。 「来世がないのがよい」「思考と思念を深めるのがよい」を「生きなければならない」と同等に重視するということは、前二条件のために後一条件を犠牲にする場合がある…つまり、前二条件のために死ぬことがある…ということである。 これはちょっとひっかかるかもしれないが、戦争などにおいて、信仰心などから自ら犠牲になるような場合を考えてみればよい。そのような「死」に意味を見出すということである。僧として生に貢献しない生き方をしても、優れているとみなされる…などということである。 ……。 「来世がないのがよい」には、産児制限的な方向性がありうることを以前示唆した。 人口が増えたとき、僧は戦争が増えて人が死ぬのが増えるよりは、産児制限をする方向を選びがちなのが、「来世がないのがよい」という方向ではないか。産児制限をしてでも、僧は戦争を止めるのを優先する…といったほうが、適切かもしれないが。 多く人が死ねば葬儀が増えるが、そこで得られた金銭は、僧は僧を増やすのに使うという話でもあった。それとの上の話の関係はどうなるのか? 結婚しない僧を増やすのは、戦争のあと子供を産もうとするのを抑制する効果がある。再びの戦争を抑えるため。…とも言える。他の災害の場合はそういう理由は薄れるが…。人口減のあとの人口ブームによるその後の戦争を防ぐため…とは言えるのでは? ただ、それはそれとして、戦争確率に人口を寄与させるのはアリだろう。人口が ARGS.population の 80% 以下のときは戦争がもっとも少ないが、120% を超えると戦争がもっとも起きやすくなる…というのはあっても良いかもしれない。その間の起きやすさの違いは、3 倍ぐらいで十分ではないか。「来世がないのがよい」にコミットが多いと、3 倍が 1.5 倍ぐらいになる感じか。 ……。 ロードマップ的なもの。 simbdp1.py (プロトタイプ 1 号)に支配と災害のモデルを入れたものが、simbdp2.py (プロトタイプ 2 号) になる予定で、そこにさらに僧と犯罪のモデルを入れたものが、simbdp3.py (プロトタイプ 3 号)とでもする予定。それでひとまずの達成としたく、当初の「仏教の最適化プログラム」という構想にどれぐらい近づくか…といったところ。