種別[gsm] 2021-05-14T14:20:33Z
セクショングローバル共有メモ
日時2021-05-14T14:20:33Z
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山田一雄(指揮) 他『伊福部昭 作品集』(CD 2枚組, 録音:…

jrf> 山田一雄(指揮) 他『伊福部昭 作品集』(CD 2枚組, 録音: 1977年-1986年, 発売: フォンテック 2011年) を聴く。

キッカケは、2021年3月7日NHK Eテレ放送の『クラシック音楽館』の N 響演奏会が 伊福部 昭 を特集したことで、特に井上道義(指揮) 松田華音(pf) の『伊福部 昭: ピアノと管弦楽のための「リトミカ・オスティナータ」』が良かったから。その曲に定評のある CD を買った。

聴いた印象は、日本的・アイヌ的メロディーに西洋の響きを付ければおもしろくなる…という信念はあるのだと思うが、この偶然得られたものを突き詰めれば何かが得られる…それが悪魔的であろうと天使的であろうと神の意図に通ずる…といった確信のようなもの…ベートーヴェン的インプロヴィゼーションには欠けていると思った。似てはいるけれども。

昔の私なら、ベートーヴェン的インプロヴィゼーションのなさをそのままダメなものと考えたかもしれないが、今はそうではない。人の人生はすべて決まったものではない。おもしろいと思うものを続ければ、その先には何かがあり、そういう人生そのものがインプロヴィゼーション的なのだと思う。だから、この作曲家を追えば、それなりに得るところがあるに違いないと思う。(まぁ、時間も限られているので、そんなには追わないわけだが。)

これが CD 1枚目の印象。

ところが CD 2枚目では印象が変わる。まるで人が変わったように…メロディーの処理は同じ…というか「似ている」のだが、管弦楽の付け方が違う感じがする。ちゃんと「狂気」がある! 演奏の違いだけでは説明できない。作曲法の時代的進歩なのかもしれないが…。1枚目は、ベートーヴェンを共通の祖として、ストラヴィンスキーやヒンデミットからショスタコヴィーチに致る道だったのが、2枚目では、ブルックナーやドビュッシーから武満徹に致る道に路線変更があったのではとすら感じる。

弟子の影響なのか、時代が変わって「成熟」したということなのかはわからないが。