[仏教の最適化プログラムの続き。]…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 支配ってそんなに個人の有能さに左右されるだろうか? 合議体を作ってそこで有能さはカバーされるのではないか。予算を使うときの重さの好みみたいなのはあるかもしれないが…。 結局、部下は自分の好みの分野への予算が、反逆したほうが多くできる場合のみ反逆するということになるのだろうか? なんか違うなぁ…。部下にしてみれば予算さえあれば、上からの予算の実行でも不満はそれほどないと思うんだよ。その予算内で好みの分野に努力するとかできるだろうから。むしろ、部下の有能さをトップが使えないことのほうが大きな問題という気がする。 …ということは、好みだけでなく有能さも関係あるとすべきなのだろうか? トップは有能さを見て、部下の有能な分野に力を振り向けようとするが、部下は有能な分野とは違う好みの分野をやりたがろうとする…みたいなのは一見スッキリするけど、トップはシミュレーションゲームのプレイヤーじゃないんだから、有能さをそう簡単には見破れないのであまり意味がない気がする。 それともトップが学習する? でも、部下は部下で学習して自分のことは一番良く知ってるとなってるべきではないのか? すると、有能さと好みは一致していることが前提になる。 自分の有能さと好みはわかっているが、部下の有能さはわからず、それは学習していく必要がある…というのはどうだろう? 予算は自分の好みに従って配分しようとする。しかし、どう配分すれば自分の好みになるか、それは部下の有能さに依存するが、その部下の有能さは自分には必ずしも明らかでない。反逆がない場合は、しかし、部下どうしが連絡しあって、最適な配置が実現する。反逆がある場合は、配分がうまくいかない。具体的には、反逆を探知して部下の予算を少なくするが、その分他の部下に増えた部分も(最適配置がされず…それだけでなく)無駄になる部分ができる。 反逆した部下は、限られた予算で、自分の好み(有能さでもある?)にしたがって最適配置しようとする。が、当然その部下の部下との間で反逆などが起こりうる…。 …という感じだろうか。複雑になり過ぎてる気がするが…。 ちなみに、セクト主義みたいなのは、上が望む最適配置を後から調節しない不忠にあたり、ここでは反逆になるということなんだろうね…。