種別[gsm] 2021-03-23T15:52:33Z
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日時2021-03-23T15:52:33Z
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[仏教の最適化プログラムの続き。]…

jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。]

「来世がないほうが良い」が「堕胎」を導くおそれがあるということだった。しかし、子供が育ち、彼の成長を願うことで、自分の「霊」の来世の「物語」に期待する必要はなくなるという点では、子供ができ育つことこそが、「来世がないほうが良い」に資する…とも言える。名前を遺そうとするより、子供を残すほうが自らの「来世」への依存度は低いだろう。

ただ、僧に子をなさないことを求めることは、「子供ができる」ことを否定するのも「来世がないほうが良い」に含まれるという考えを支持する。

このあたりは微妙なところで、どうモデルで表現すればよいのだろう?

子供ができれば「堕胎」はしない、しかし、「妊娠」が起きないよう欲しい子供の数等に介入するのは許される…としさえすればいいのだろうか?

僧は自分が消えることを喜びながら、俗世の他の者が生き続けること…「生きなければならない」…をことほぐ。それは個々の死は受け容れることが正しく、全体の生を担う新しい生を喜ぶべきだから…だろうか。

僧でない者は僧を見て、僧自身ではなく法を受け継げば、僧の望みは達成できる。自発的に受け継がなくてもいい。仏陀となっていたならば、法は自然にそこにある。…

ただし、仏陀にはなりがたし。僧が生きるために、僧の集団を自発的に支えてもらう必要がある。

子供が増えたことで死者が増えるようなことがあれば、僧に「祝って」もらう。「死者が増えることで得をしたのではないですか?」…と。「いや、そうではない。」と、僧側は「子供を増やさない僧」を増やそうとする。

死者が増えれば、僧は財を増やすよりも、僧を増やす。そして、僧は多くなくてよく、死が増えることは良いことではない。だからこそ、まずは「欲しい子供の数の制御」等で、妊娠が増えることに介入する。(これにて「回路」がとじる。)

…ということではないか。

必要なのは、僧を増やす回路なのだろうか? でも、それは日本の大乗には通じないな…。

大乗は、支えてもらわなくても、自らある程度、支えることで、僧集団を可能にしているということだろうか? 僧の数によるコントロールは、実質的に無意味だから…と。

僧の数によるコントロールが無意味なのは、釈尊の時代からそうだろう。だからこそ初期に死の祭礼などを重視しないことができたのだろう。…と。

……。

また、地獄のような夢を見た。

詳しくは忘れてしまったが、はるか未来または超古代、獣人のようになって、他者に埋めこまれるようにして他者をのっとり生きていくような時代。食った遺伝子を自分に取り込めたような細胞時代の「記憶」だろうか? それとも、ゲームのカービィなどに影響を受けた設定だろうか。

いろいろな獣人が入れ替わり、様々な特徴を得て遺していく。ゲームのときメモのような状況で好きな子を選ぶと、それはよく似たクローンでしかなく、自分が遺るような組み合わせを、マッチングで実現しようとしている者がかげにひそむ。どこまでも連鎖が続き、なぜ自分達がそうなっているか、振り返って考えることができなくなっている。

そんななか目醒めて気になったのは、ごく小さいリングなどに、引き千切られながら、痛みをともなって意志があり続ける者がいた…という部分。

転生というのは、あるとすればどこまで引き継がれるものなのか。死んで、引き裂かれて、その痛みが部分ごとにそれぞれあり続け、それが「転生」後も残るものなのか。

別の者の体の一部となったとき、それは別の者となるのであって、そのとき「解放」されるのか、それともそこでは「眠る」だけなのか? 意識の混濁はないものなのか?

地球の生命は宇宙からやってきたという説がある。小さな星となった「生命」は、いつまでも戻れないという罰を受けながら、一方で、自分達こそが「思い」を受け継ぐものだという自負があったかもしれない。それは滅びという「痛み」を受け継いでいるということかもしれない。

新しい生が転生を感覚的に否定できるというのは、僥倖なのかもしれない。

古い生を取り込んだ新しい生が、それにとらわれずに済む。学びながらも平然と生きる。それも「来世がないのが良い」に含まれているのかもしれない。