[仏教の最適化プログラムの続き。]…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 少し先のことを考える。災害などと「来世がないのが良い」「生きなければならない」「自己探求するのが良い」(または「思考と思念を深めるのがよい」)の関係について。 生産の最大値を増やす…すなわち、最大人口を成長させる…ことと災害を減らすことのどちからかを選べるときがあるかもしれない。 最大人口を増やせば「堕胎」を減らすことができるだろう。一方、災害を減らせば人口減少は少なくなるが、最大人口の重しによって、「堕胎」を増やす必要が出てくると思われる。このとき、「来世がないのが良い」は「堕胎」を増やす方向の支持を示唆する可能性があることを以前、指摘した。 「生きなければならない」から「堕胎」を減らす方向に支持を得るには、生きなければならない者を、大人より子供を優先する…みたいな価値感が必要になる。 人口が多過ぎるというとき、資源の分配が不十分になり豊かさが毀損するだろう。生きにくくなると言える。しかし、生きにくさは直接、「生きなければならない」と関連を持つとは限らない。むしろ、経済の余裕・豊かさが教育を支えることから、「思考と思念を深めるのがよい」に反すると考えるべきかもしれない。 つまり、「思考と思念を深めるのがよい」から、災害を減らす より 最大人口を成長させる ことを選好するということがありえるということだろうか? この場合、豊かさというパラメータがあり、それが教育を促すと同時に、人口が最大人口キチキチになれば豊かさが減るということがなければならない。 むしろ、「災害を減らす」か「最大人口を増やすか」の他に、「教育に金をかけ文明度を増やす」という選択肢が別にあり、それを増やすと、すぐには効果が出ないが、やがて、「災害を減らす」や「最大人口を増やすか」のどちらも高レベルにできるようになる…という感じなのではないか。 『シヴィライゼーション』とかのシミュレーションゲームのイメージで、投資ポイントがあって、それを、対災害にするか最大人口にするか、文明度にするか…どれに割り振るかというイメージ。もちろん、自由な投資ポイントの他に、レベルアップに従って自然に対災害や最大人口・文明度が上がる分は別にあるとして…という感じ。 ……。 福祉にはどういう意味があるのか。教育的効果はあり、「生きなければならない」を支える効果はある。さらに、今の苦しさから来世を望む…みたいなことを起きにくくさせるという意味で、「来世がないのが良い」にもプラスだろうか。 ……。 初等教育が経済にプラスになることはあろう。一方、経済が豊かであることが教育にプラスになるというのが上で書いたこと(の一部)だった。 ……。 豊かである=子供が多い…ということなんだろうか。子供が多いことが教育の受容を進めるから、教育にも良い? それは違う気がするな。 豊かであると余暇ができ、教育に時間を使えるということだと思う。すると、豊かである=労働力が多い…ということなのだろうか? 労働できる年齢の者が相対的に多いと豊かになるんだろうか? それとももっと景気変動的なことを考えるべきなのだろうか? 最大人口キチキチだと豊かでなくなる…というのを実現するには子供が多いとか労働者人口が多いだけではダメ。 ……。 「堕胎」というのは、やはりおかしい気がするな。そんなことはしない…となると、人口が増え過ぎると、資源が足らなくなり、餓死者が出たり、「災害」が増えたりする…一般死亡率などを増やすほうが自然ではないだろうか? 一般死亡などが増えるのを観て、「堕胎」を増やしたほうがマシだ…という判断はひょっとするとあるのかもしれないが、それでも、望む妊娠の「堕胎」までするのは異常だろう。このあたりは「災害」がモデルに入ってきたのち、見なおすことになるだろう。 ……。 まぁ、今はこれぐらいにしておいて、このあたりのことは、先々考えていこう。