[仏教の最適化プログラムの続き。] 借金について。…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 借金について。 test_of_income_1.py では、借金はほぼ扱わなかった。test_of_income_1.py 以前には、借金は返済の支払いのみが大事で借金額は重要でないという話だったが、test_of_income_1.py では農民は借金額のみが出てきて、商人はまったく借金ができなくなっていた。 test_of_income_1.py の ---strong-consumption では、貧困層は 1割か2割しか貯められず、残りを消費するということだったが、そこでは、限界まで借金するためその返済とあわせて、「消費」がほとんどになるというイメージを私個人は持っていた。 しかし、例えば家を買って借金したとしよう。すると、このモデル内で考えると、それは、家の資産評価額と借金額が相殺されて、ほぼ 0 (または若干マイナス) の財産を持っているとなろう。 実際には金利があったり物価上昇や使用による価値下落等があったりするのだが、そういうのを捨象して、借金が少しずつ返済されていくという考えると、確実に返済された分だけ、帳簿の反対側の家の価値が残ることになる。すると、それはこのモデル内では、商業財産が確実に増えることになる。これは、--super-consumption で「消費」がほとんどになるというイメージとは逆に、確実に一定割合が、消費とは別に商業財産として貯まっていく状況を示唆している。 ならば、逆に super-consumption な状態というのは、借金して家を建てたものの、災害などで家が失われて借金のみが残った…ような状態のことなんだろうか? そういうのはこのモデルでは「大バクチ」が相応の役割を持っているはずだが…。 そして、「古代」のモデルで、借金まみれになってるのに、逃げない・逃げられないというのがよくわからない。長く暮らしているとできる「のれん」みたいな信用があって、その分、給料が上がり、より借金ができるようになる…。とかあるとしても、返済で上がった分の給料が相殺されるぐらいなら、逃げて、返済なしの状態からはじめたほうが、得になるのではないか? どこへ行っても super-consumption な状態になる。その状態でも 1 割は残るのだから、給料が大きいほうが残る額は大きくなるから、「のれん」のあるところに住む…といった感じなのだろうか。 でも、それじゃあ、どうして super-consumtion な状態になるのかの説明は出て来ない…。 家を借金で買えるようになるためには、頭金が必要で、その頭金は「大バクチ」で稼ぐ必要があり、頭金を出して家を借金で買ったあとは、super-cunsumption な状況から離れ、資産が貯まるようになる。…というのは、資産がたまると super-cunsumption から離れるというので、すでにモデル化されている…と言える。 なぜ、super-consumption になるかは問うてもしかたないところなのだろうか? あるところから取るというのが常態としてあって、貧困のうちには、ある程度免除されているから、逆に給料ギリギリまでの消費が常態としてある。…とか? 逆に、どんなに給料が低くてもやっていけるというのは、非金銭的なシェアがあるから。…とか? 「非金銭的なシェア」は借金などとしては表せない…まぁ、金の借し貸り的なシェアもあるとして…といったところか? super-consumption 的な設定さえあれば借金返済についてもモデル化できている…と考えて良いのだろうか? それとももっと精緻な借金モデルを考えるべきなのだろうか? 結構な固定給が出てて、それで借金ができて家が買える…現代サラリーマンみたいなのは「古代」にはないだろうし…。 「のれん」があると非金銭的なシェアにおける返済みたいなのが猶予され、また給料も増えるので、資産を貯めやすくなる…というのはあっていいかな。ほぼ逃げることがないとするなら、それは年齢が代理指標になる。そして、それには上限があるとすれば、成人になるまでに給料が増えていくというので、ほぼそれはモデル化できているのではないか? もっと考慮すべき点(考慮してモデル化して本質が変わるような点)はあるだろうか?