[仏教の最適化プログラムの続き。]…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 農業生産・工業生産・商業生産をわけるべきか? 基礎的生産というのがあって、それがないとインフレが起こる・みんな困る…とかやりたい。が、しかし、蛮族が侵入できるなら食糧の輸入も不可能ではないはず。それは商業生産になって、「困らない」となるのでは?…と思う。 農業生産が多くなり過ぎれば、家畜の生産というのも起こるだろうし、果物など商品的価値が高いものが作られるだろう。でも、そういうのが流通できるのは、商業生産・サービス生産があるから…ということになるのでは? 農民は内職的なことをやって収入の足しにしているかもしれない。すると、工業生産への貢献もカウントすべき…となるんだろうか? 生産を統合する場合は、結局、農民、工人、商人のバランスを何を規準にとるか…という話になる。これは実は統合しない場合でも必要なのであって、そこに生産量がかかわらないなら、統合してもよいとできるのではないか。 農民は養子相続でもない限り、移動できない…とすればいいんだろうか? 災害があっても離れられない…と。死んで相続がなければ、勝手に養子がどこかから連れて来られる…と。有利でないとすれば、農民が黙っているだろうか? それを黙らせるために商業が難しいという思念で教化する? 商人と工人は人口比が一定になるように給金が決められる。工人は商人の平均の6割がけの賃金を一様にもらえる。農民一人あたりの生産による報酬は、もっとも成功したときでその土地の工人の1.5倍…とか、そんな感じにして、その数値を動かせるようにでもしようか? 災害などで農民が生産できないと、貧しい商人となる。一方で、農民の欠員は、貧しい商人から補充される。結果、追い出された農民が他の農地や確率が少ないが自分の農地に戻ることもある。…という感じか。 でも、豊かな農民はどう表せばいいのだろう。いっしょに工業か商業をやってることにしようか? 農業生産・商業生産は分けないが、農業収入とその他の収入は分ける方向…。 豊かな農民は大きな農地を持つというのもありそうなんだけど、結局、人足が必要なので、そこをどう考えるか。実質、人足が農地を持っているとして計算すれば楽だという気がするが、人足が地主に払うのを表現しなければならないとすると難しい。その表現が必要なら、むしろ、人足はあくまでサービス生産で、地主は、商業収入を得るという形にして、農業収入は他の家と変わらず…とでもするか。するとモデル内では、地主と人足の関係はなく、貧しいサービス生産者と、商業収入の多い農民がいる…となるのだろうか。