[仏教の最適化プログラムの続き。]…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 実際にプログラムを作る方向をほんの少し考えてみる。 定理集合があって、そこからランダムに選んで組み合わせたものから作られる定理が作られ、それが命令的前提に合致する度合でウェイトが付けられる…みたいなことになるのだろうか。 まぁ、それは置いておいて、それが(個人が)あい対する世界はどのように記述されるのだろう? 「何かに欲望する」というイヴェントが発生する。「何か」が何なのかはあまり重要でないが、生きるために必要かどうかなどは大事か。 他の人とのインタラクションはどういう意味があるのだろう? どこまで記述する必要があるのか。他の人が持ち、それに対する欲望がどのくらいといったことで、定理集合による受容が何か変わりうるだろうか? ある種のゲームを作る必要があり、その必勝法を最適化プログラムが探す…ということか?