種別[gsm] 2020-07-17T13:52:11Z
セクショングローバル共有メモ
日時2020-07-17T13:52:11Z
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仏教をある種の最適化プログラムだと見た場合、「来世がないのが良い」「執着がないの…

jrf> 仏教をある種の最適化プログラムだと見た場合、「来世がないのが良い」「執着がないのが良い」「生きなければならない」「自己の探求は良い」…を命令的前提として最適化しているのではないか。(「生きなければならない」は「自ら破滅してはならない」のほうが人だけでなくプログラムについても言え一般性があるかもしれない。)

環境的前提として「自然には生き(ようとし)ている」「命令的前提が達成されないなら、「来世」で悔いる」などがあるか。

トレードオフは当然ありうる。まぁ、法は、あれでもなく、これでもなく、「最適化」でもなく、「ありのまま・真如」を見るべきなのかもしれないが。

執着がないようにするのは来世がないようにするのに含まれているような気がするが、それは来世がないようにするためには執着がないようにしなければならないと決めたからである。

「罪はないほうが良い」は前提ではないのか。なくてよい。来世がないのが良く、来世がなくなるように自己を探求すれば、罪がない生き方しかない。

「善根を積むのが良い」という命令的前提もあり、「無償で善行を積むのが良いとされる」という環境的前提があるのではないか。しかし「よいこと」=「生きれるようにすること」「来世がないこと」「執箸がないこと」「自己探求すること」で尽き、「よいことだからよいことをする」「あれをするにはこれがよい」とするのは自己探求の再帰可能性から導かれるから、「善根を積む」のは自己探求の資料とみなせ、特に前提として新たに設ける必要はないのではないか。

「生きれるようにすること」は単に個人が生きればいいということではなく、人類が生き続けることを含む。生きることと自己探求の肯定には、社会の発展・人口増大の肯定も含まれる。「生きること」「自己探求」に有用なものについては、「衆生的法」「衆生的自」として残っていくことも求められる。