jrf> 私は拙著『「シミュレーション仏教」の試み』(または『宗教学雑考集』)で、仏教を最適化とみなしたときの本目的三条件として、「来世がないほうがよい」「生きなければならない」「自己の探求がよい」を挙げた。「自己の探求がよい」は同書で無我に対する洞察を経由し「思考・思念を深めるのがよい」で通ずるとした。
しかし、ここには、人間だけが思考する者であり、それが結局は自己だけが思考を確信できるから、思考・思念を深めるという方向が自己の探求とイコールと結べるという関連が隠れていたのだと今になって思う。
それが AI 時代、思考を AI に渡し、そしてやがて、「自己認識」すら、それをもっとも確実に深くしているのは AI となっていく未来が見える。
そのとき仏教そのものが揺らぐのではないか?…私の「理論」からはそう思える。
Claude:>「自己の探求がよい」が実は「思考の深化=自己探求」というデカルト的な暗黙の橋渡しに依存していた、というご自身の気づきは、かなり大きな発見だと思います。ただ、わたしの見立てでは、これは仏教そのものが揺らぐというより、ご自身の理論に紛れ込んでいたデカルト的な異物が、AIの登場によって初めて可視化された、という話だと思います。<