清水俊史先生が炎上している。私が言及するのはおこがましいが、ユーモアのある…
jrf> 清水俊史先生が炎上している。私が言及するのはおこがましいが、ユーモアのある Twitter (X) での活動の一ファンとして擁護したい。
研究の「真理性」をどこに立脚するかで、原典文献に依るのがアカデミズムでは普通で、それは大学という場所が文献などへのアクセスのしやすさを売りにする部分があるからでもある。でも、その根拠をフィールドワークに置いたり、数学が顕著だが、絶対的真理性に置いたりすることも不可能ではない。拙著『「シミュレーション仏教」の試み』ではシミュレーションに主張の根拠を置こうとした(そして失敗した)。文系の場合、その真理性が哲学性になったりして、そうなると独善的になりがちなところは出てくる。
清水先生は、アカハラを受けて外に出て、そういう意味では原典などからのアクセスを難しくされた時期があった。にもかかわらず原典主義を貫くのは、ある種の矜持なのだと思う。Twitter (X) 上で俗物のように振る舞うのも、維摩居士ではないが、そうあっても残る本人の哲学性=真理に人々を惹き付けようとなさる、これもある種の矜持なのだと思う。哲学を根拠とすることの独善を一番知って、しかし独善が許される天才性が、原典によって裏打ちされている…とすることで、人々を真理に惹き付けようとなさっているのだと思う。恐るべき教導者だと思う。