拙著『宗教学雑考集』がほとんど売れない。もちろんほぼ読まれてない。ただ、それは当…
jrf> 拙著『宗教学雑考集』がほとんど売れない。もちろんほぼ読まれてない。ただ、それは当然なのかという思いがしてきた。誰が読むのか…という点だ。こういう本を読む暇のある者が私らの世代以外にはいないのではないか…と。 大学などの学者でもないどこの誰ともわからない者の書いた「学術書」を読むほどの暇がある人物というのは、「ディレッタント」寄りの学者でしかない。それは人口がボリュームゾーンでありながら、恵まれていた時代を過ごせた者が教育者になれずに書いたものを、その仲間の教育者が読むぐらいでなければ役に立ちようがないのだと思う。 哲学寄りだから時代を超えることに一縷の望みをかけれたとしても、でも、学術消費が豊穣な時代が再び来ない限りは無用のものなのだろう。普通は大学などの学統の中で閉じこもるのが学者の生存戦略として正しいのだから。 もしかすると、ベーシックインカムが本当に実現する世の中になって、拙著のものなども読まれる時代が来るのかもしれないが、そのときはそのときで AI が書いたものがむしろ珍重されるように思われる。orz 《澁井 幸平(K-SHIBUI):X:2026-04-22》 https://x.com/koheinet608/status/2046866843248521336 >ノア・スミスは約20年にわたる日本訪問の経験をもとに、日本が「普通の国」へと収束しつつあると論じる。 (…) 労働参加率は安倍政権の改革により63%から75%近くまで上昇した。女性や高齢者の就労が増え、性差別の緩和やワークライフバランスの改善も進んだ。しかしその代償として、1990〜2000年代に独自文化を生み出していた「余暇階級」が消滅し、庵野秀明や椎名林檎のような才能が育つ土壌も失われつつある。 <