(承前)…
jrf> (承前) 今回の件、まず、問題となったのは2ヶ月以内の出版と最近であるにもかかわらず、「引用」が10件以上と多く「無断転載」とされたことです。 今回の件につき私の主張です。まず申しておきますが、権利者への批判・反論ではありません。 まずその要旨から。 1. ブログは出版ではなく、手紙と同等と「誤認」することには私ではなく社会に責任がある。 2. 引用は無断転載にあたらず無断転載というのは引用であった場合に侮蔑的表現にあたる。 3. 長期的には正当な引用になり、2・3年待てば許諾がなくても公開できると考える。 以下本文です。 1. ブログは出版ではなく、手紙と同等と「誤認」することには私ではなく社会に責任がある。 著作権法は、健全な批評も保護するはずです。哲学に関する批判・批評は伝統的に多くの引用によってなされてきたはずです。その批評が出版にまで致らなかったとすればそれは時代性であり、現代ではその批評はブログなどですぐに公開されるにふさわしいことです。ただし、これは私が強い出版力を持っているブロガーなどの場合にはあたりません。その「悪評」が、売上げを左右することができるからです。 しかし、私はまったく読まれていないブロガーです。影響はありません。もし、その認識が間違っていたとすれば、アクセスをごまかしている企業社会などに責任があります。そもそも、こういう主張を許す社会のほうが間違っておりそこは是正されるべきです。アクセス量の通知を、ブロガーなどに正しく行うよう社会に圧力をかけるべきです。よって、私がアクセス量の少なさから、手紙と同程度ととらえたことについては私に責任はないと主張します。 アクセスされる可能性があったという主張は、実際大量にアクセスされてから主張してください。このような長文哲学系ブログが手紙以上に読まれることは実際ないのです。 2. 引用は無断転載にあたらず無断転載というのは引用であった場合に侮蔑的表現にあたる。 出版社によくあることですが、気軽に「無断転載」と主張するのは、相手を侮蔑する行為だと私は思います。まぁ、ただの感想ですが…。「引用」という言葉があり、引用という言葉にはあわいがあります。「必要以上の引用」という表現もできたはずです。今後一般に、出版社にはこういう言葉遣いを慎しんでいただきたいです。 3.長期的には正当な引用になり、2・3年待てば許諾がなくても公開できると考える。 私は今回の形態が短期的には業務妨害的であることを倫理的には認めますが、それはこれまでゲームの訴訟などを見てきた結果から、そういう権利があるべきだという、法ではなく私のポリシーに求づく認容です。ですから公開停止になったこと自体に文句はありません。今の主張は今回の措置ではなく、将来の再公開のために行っています。 基本的に今回の形態を、業務妨害的または不正競争的とするのは、現行では該当する法がないというのが私の認識です。しかし、まったく、そのような主張が通らないかというとそうではなく、その場合、著作権法の親告を重く見てきた判例などの蓄積を考えると、私は正義にもとると思いますが、著作権法上の引用の要件に当たらないと判示する可能性もゼロではないと認識します。私の本の批評なら私は公開停止を求めませんが、著作者の判断を尊重する方向です。ですから、私のブログでは、毎度、新しい本については、業務妨害性につき断りを入れています。 しかし、本来は、哲学上の批評・批判の伝統からすれば、このような引用は(10件を超えるから?…どこから持ってきた法理ですか!)許されねばなりません。批評においては主従の主たるものは、批評者にあります。また、長いブログの一件であり、引用には関係ありませんが、商業性もありません。今後、仮に業務妨害的な作用を求めて厳しめの引用の要件が成立したとしても、本件の場合には、業務妨害的なことにあたらないと見られる、2・3年たったあとの公開にそれを主張することは、民法の権利の濫用にあたることになると思われます。 ……。 実は、これをメールに書こうかと思ったのだが、プロバイダが困るだけだと、Gemini さんに止められたため、Twitter (X) で公開することにした。