「働かないこと」が「空」であるのは、「空腹」もそうだ。空腹に耐えて修行できるよう…
jrf> 「働かないこと」が「空」であるのは、「空腹」もそうだ。空腹に耐えて修行できるようになるということもそうだ。ただ、現代、働かないと空腹で過ごさねばならぬ…というこ法はまずない。食うことよりも学ぶことを優先するというのも微妙に違う。食うのは生活の一部であり、丁寧に生活するのも修行であるという禅宗のような見方もあるからだ。ちゃんと生活しているから学ぶ余裕・学んで身につくということもある。 現代で、「空腹」を是とするというのは、単に、食うことを重んじてあくせくしない…そういう明日を恐れるようなことはしないぐらいの意味であろう。教えが途切れる心配もあるから、明日をおもんばかるのも多少はいいのかもしれないが、基本的には、阿字信仰(参: 拙著『宗教学雑考集 第1.0版』《日本の創造》)などを考えると、身が残らずとも本など教えのみが残ればそれもよしとするのが、仏教の究極の考え方なのかもしれない。 「働かないこと」が「空」であるというのは、労働しないことを是とする、そうなるように空が是という理論は組み上がってもいる…というのが第一義(参: [cocolog:95634030](2025年9月))だが、「空」という真理が周りに「働き」かけるものではないという意味もあろう。それはそれとして…という話である。