マハームドラー。空に死ねるのがエラいのは、働かないのをエラいと思えるためであろう…
jrf> マハームドラー。空に死ねるのがエラいのは、働かないのをエラいと思えるためであろう。そう思うのは私が「ニート」だからかもしれないが。 中沢新一『精神の考古学』を読んでいる。マハームドラーに関連して、空の思想が語られる。空を生きること、またはそれを抱えて死ねることの意味は何か。私は拙著『宗教学雑考集』で仏教の本目的三条件として「来世がないほうがよい」「生きなければならない」「自己の探求がよい(改め「思考と思念を深めるのがよい」)」を挙げ、それぞれに死ねる生き方があるとした。空に死ねるとは、思考のために死ねるということか、涅槃のために死ねるということか…。 『創世記』は働くことを人の義務とした。そうしない無為・働かなくてもよいこと、それを善いとして生き死ねることが、そこにこだわって生きるしかない俗人も自由にするということではないか。まぁ、これは「ニート」な私の悩みを反映したごく私的な結論かもしれないが。…すると、思考もある種の働きなので、思考に死ねるというよりは、涅槃に死ねるということであろう。空に死ねるとは。 一方で、社会が成り立つためには、働かない生き方を働く人々からの施しが何らかの意味で必要である。その反対贈与として、思考の働きを提供するという話でもあるかもしれない。 働くことはかなり人間には強い抑圧なので、それを振り払うのはいくつかの覚悟・または基礎が必要なのだろう。空を見出し体得することの意味は、思考にそれを見出そうとするならば、真理を追及する形を取ろうし、そうでないならば、実践を重視するのかもしれない。