種別[gsm] 2025-07-21T10:13:54Z
セクショングローバル共有メモ
日時2025-07-21T10:13:54Z
元URL(URLなし)

神は「どこ」にもいない…と言えるか?…

jrf> 神は「どこ」にもいない…と言えるか? それを反駁しようとして以前論じた(↓の一部)が再考したい。

[cocolog:95509656](2025年6月)
http://jrf.cocolog-nifty.com/statuses/2025/06/post-00f247.html

まず↓を言うために神のいる「空間」があるとせねばならないと考えたのが、私の反論のキッカケだった。そのため↑では神は空間はダメでも超空間という「そこ」にいるとは言えざるを得ないとしたのだった。しかし、そこまでする必要はないと考えを改めた。

拙著『宗教学雑考集』《始源論》
>世界には始まりがあるのか、それとも無限の過去があるのか。宇宙創世論または次元創世論で「はじまり」はあるのかという問題がある。

「はじまり」はあり創造神がいるという場合、その創造神がいるとすればどこにいて、そこは誰が作ったのかが問題となる。

しかし、創造神が世界を創れる可能性ができたとき、創造神以前から創造神が現れるまでの世界が「忽然と現れる」こともまったくありえないわけではない。創造神はある程度時間が経過して現れているように見えるけど、その創造神がいると確定したから世界のはじまりができた…ということはありえないわけではない。そこから未来が確定するごとに線を太くするように過去が創造されていく…。たとえば、そういう創造神がイエス・キリストなのかもしれない。もちろん、こういう解釈はキリスト教にとっても異教的解釈だろうが。

少なくとも「はじまり」があるということはその前というのも概念的に考えることができ、それは無限にはじまりなく続くかもしれない。しかし、アキレスと亀が無限を有限の中に閉じこめるように、その中にいる者にとっては無限だが、外から有限ということはありえ、すると、その「無限」を先ほどのように忽然と現れ創造することもできる。しかし、それもまた無限の中の一部かもしれない…。

結局これはどちらもありうる話なのだと思う。
<

改めた論証はこうである。

このような創造神は、「その世界」に存在しているとは言える。しかし、それは聖書の神がこの世界に存在したと言えるのと同じで、だからそこに属しているとは言いがたい。なぜなら、そのような創造神は、時間軸に完全に従っているわけではなく、世界の「外側」に立っているとも言えるからだ。このような創造神は、我々の世界からすれば「そこ(その世界)」にいると言えても、「その世界」の住人からすれば、「どこ」にもいないと言っていいのだ。

この創造神が、いわゆる聖書の神であるとは限らないが、「どこ」にもいない神でもあるとは言える。神はそのようなものかもしれないとは言えるのだ。

よって、「神は「どこ」にもいない」と言っても上の《始源論》は反駁できないと私は考える。