般若心経に絡んだ文章を読んだ。玄奘三蔵がナーランダ僧院のまたは一闡提の思想で仏性…
jrf> 般若心経に絡んだ文章を読んだ。玄奘三蔵がナーランダ僧院のまたは一闡提の思想で仏性がない者がいると考えていたとかなんとか。私も昔はそれは問題だと思ってたんだが、大乗が全ての人の幸せを望むとしても、大乗的幸せをあえて望まないこともできるほうがいいというのはあるのかなぁ…と思うようになった。 エリート主義は問題だけど、到達しがたいというものがあることで、刺激される学習欲というのは確かにある。また、天上的幸せというのもいろいろあって、その場で望まない人もいることを認めるのは大きな意味で人を幸せに導くことだと思う。涅槃的幸せは、そもそも幸せなのか? というのもある。当然望まない人もいよう。全ての人を救うと言うとき、人はその人なりの幸せに導いてくれると思っている者で、それを結局実現できないなら、嘘をついていることになる。五性各別説で、自分の宗派にあえて吸収しないのも、優しさなのかな…とは思う。もちろん、そこを踏まえてそれでも涅槃的幸せを追うべきで、その幸せで救う「大乗」だという思想を持つならそれはそれで立派だとも思うけど。