種別[gsm] 2025-01-15T18:49:41Z
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日時2025-01-15T18:49:41Z
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フェルミオンとボソンの他にパラ粒子があるとの説がある。ボソンは縁起的なので、する…

jrf> フェルミオンとボソンの他にパラ粒子があるとの説がある。ボソンは縁起的なので、するとフェルミオンは因果的だろうというのが私の理解だった。複数定数的なパラ粒子は何なのか? 私はイザナギ・イザナギのような複数神が超越的な創造に関与していることもあると考えたものだった。それがパラ粒子的なのかもしれない。すると、ひるがえって、ボソンは無神論的仏教的だとすれば、フェルミオンは唯一神論的なのかもしれない。因果的ということと唯一神論的というのが結ばれたわけだが、その意味はなんだろう?

《「ありえない」粒子の実在性が示される:フェルミオンでもボソンでもない - ナゾロジー》  
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/168682
>繰り返し述べているように、フェルミ粒子は「同じ量子状態を絶対に共有できない」(定員1名の超絶厳しいルール)で、ボース粒子は「いくらでも共有OK!」(定員無制限)という対照的なふるまいを示します。

ところがパラ粒子は「ある定員数まではOK、しかしそれを超えると一切入り込めなくなる」という、中間的なルールを持つと考えられているのです。
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『宗教学雑考集 第1.0版(予定)』《日本の創造》
>創造神が世界を創れる可能性ができたとき、創造神以前から創造神が現れるまでの世界が「忽然と現れる」こともまったくありえないわけではない…と書いた。そのとき、創造神として複数の者が同時に創っていた…ということはありうる。創造神が「唯一神」でないことはありうる。

複数の始源が、始源であるという意味において正しく、それが必ずしも多神教的上下関係を持たない…それらは尊卑・前後という概念を超えている…ということは私は考えられるとしたい。

科学的には日本の土地は大陸移動によって何億年かけてできたのかもしれないが、日本人が日本という国を認識したときそこにあったのはイザナギ・イザナミの神話であり、イザナギ・イザナミの神話が成り立つよう日本がはじまっていたのであり、世界がはじまったのは、日本がはじまっていたから…と考えること自体は、国家宗教(国家神道)としてはありうる方向である。日本にいる者にとってはイザナギ・イザナミがなければ世界が創造されていないのと同じことだったのかもしれない。
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