人事を尽くさずに神を頼るわけにはいかない。でも、神に感謝することはできる。そうす…
jrf> 人事を尽くさずに神を頼るわけにはいかない。でも、神に感謝することはできる。そうすれば(有神論の基本定理などで)神の下の共同体は護られる。私は感謝が足りない。働く他の人への感謝も足りてない。申し訳ない。ありがたい。 働いてなくても他の人への感謝はあるべきか。そうだな。彼が生きているから、私も生きていられる…というのはあるのかもしれない。そうすれば、この私お無為の生も祝福できるというのはあるかもしれない。が…。 それとも、生きていることがすなわちそれだけで働いていることと考えるべきだろうか? 怠惰に暮らす者も悪をなす者も生きていれば、働きをもっている。でも、その者に感謝するのは、その者の在り方をまた、否定すること、ある種の侮辱ではないのか。そういう場合は、ただ神に感謝すれば十分ではないだろうか。 自分のために働いてくれた人、それがわかる人への感謝はそれはそれで大切だ。それは自分を肯定することにもつながる。神への感謝はそれとは別なのだろう。自分のために働いてくれたから神に感謝するというのは、結局、人事を十分尽くさないことにつながる。他者が恵まれたことも神に感謝すべきなのだ。 恨みは益ない。自分が恵まれたときに、まず人に感謝し、そして神にも当然に感謝すべきなのだろう。恵まれたい。orz