『宗教学雑考集』正式版に向けての草稿に少し手を入れる。 >…
jrf> 『宗教学雑考集』正式版に向けての草稿に少し手を入れる。 > 通常の進化論では、群に利益があることでも、それが結果的に個人の利益になるのでなければ、フリーライダーが生じ、それによって得することが差を生んで、フリーライドしない者は数が少なくなる。すなわち、群に利益があることだけでは、その方向への進化は起こらない。つまり「群淘汰」は起こらない。…と考える。 しかし、私は、イメージの共有と選択慣性により、または「性選択(性淘汰)」により、群に貢献する者が選ばれやすくなることで、「群淘汰」に近いことは起きうる…と考える。選択慣性に乗るイメージがうまく作用し、群に益をなすものを異性が選ぶ集団が生き残る…ということは十分起こりうると考える。 それが、自己犠牲的なレベルになるかどうかはわからないが、個人の利益になるよりも群の利益になる者のほうが、性的に選択される瞬間はあるはずである。少なくとも性行為は子とは違う二者(複数者)によりなされ、その意味でも、個体や遺伝子の利益とは単純にはならないはずである。自己犠牲的であることを特別視し、それは起きないとするのも、キリスト教的文化から来る逆に偏った意見ではないだろうか。 <