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神義論について新約聖書『ペトロの手紙 一』の議論。…

jrf> 神義論について新約聖書『ペトロの手紙 一』の議論。

統治者に従い、奴隷は主に従い、妻は夫に従うべきだと説く。従うのが神の御心にかなうことで、善を行って苦痛をうけるのはキリストに倣うことなのだという。

>神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。<(3:17-18)

少し論は変わるが、無神論者が善をなして一生を終えられるようになるなら、それこそが創造主たる神の栄光なのだろう。神を知らなくても善をなせるほど、神の創造が確かだということになるから。

進化によって人間という種が得てきた悪、進化論的悪が、無神論者が善をなすには戦わねばならないものとして、現代では対峙されている。統治者などの秩序により、その善が、つまり、神の栄光が実現するために、神を信じるものは、自己犠牲的に苦しみに耐えねばならない。

従順が支配者に神を信じようとさせる。それが支配下にある神を信じない者の善性を支えることにもつながる。神を信じない者が善になれることによって、神の栄光が証明される。

しかし、従順を強いられることで苦しむ者はどこでその報酬を弁済されるのだろうか? 死後に階級があるという話ではなかったはず。もちろん、前世の因果もない。どこかに苦しむ者が必要という全体効果が、個人に結実するということでしかないと考えるのか。本当の天国=涅槃の前に、その辺りの帳尻を合わせるための煉獄の逆的な天界が必要なのかもしれない。あるいはそれが天使として生きる者なのだろうか?