神が未来にわたって全知、あらゆることに全能というのはどこから出てくるのか?…
jrf> 神が未来にわたって全知、あらゆることに全能というのはどこから出てくるのか? 因果応報のためには、人のなしたことをすべて知っていなければならない。応報がいつも機能しているためには、いつでも介入できる能力があり、いつでも介入していなければならない。(このあたりは、それぞれ「神の記憶モデル」「霊的肉体モデル」にも対応しているのだろう。) でも、それらは「神が未来にわたって全知、あらゆることに全能」とは少し違う。 それが未来にわたって全知となるには、応報がその人のためになっていることがわかっていることが必要だから、未来もわかっていなければならないからだろうか。ただ、神が公平な裁判を行うという概念は古代にもあったが、しばしば神は至善(常に人にとって善いことをなす)ではなく、そこに全知性は成立してなかったと思われる。どこから至善で全知が導き出されるのか? …善は人が決めるものだから、神も決める、神の決めたことが善だから、神は至善なのだ…という展開だとすると、法律の成立が至善性・全知性の淵源なのかも。 人に言うことを聞かせるには「全能」を信じさせたほうが良い。しかし、なぜそれを信じることができるのか? 奇跡信仰との関連か…。なぜ奇跡を信じることができたのか? 世界が広まり伝聞が重要になったからだろうか…。公共事業や科学技術の驚異が、人にその延長線上の全能がありうることの信仰を生んだのだろうか…。 文明の進展とともに「神の記憶モデル」と「霊的肉体モデル」が相互に影響を与え合った…ということだろうか? 法で人が応報することが「神の記憶モデル」に作用し「全知性」を、技術などの知識の蓄積が「霊的肉体モデル」に作用して「全能性」を形成していった…と。 ……。 鬼神の話と魂魄の話をどう関連づけるか…。「神の記憶モデル」「霊的肉体モデル」と「魂魄」はどう対応できるのか、できないのか…。