(承前)…
jrf> (承前) 始原を因果応報と絡めて考えると、創造神の意思を持った開始がない限り、因果は過去に向けてたどっていくことができ、「無限の因果の退行」を可能とするよう過去に無限に開かれた時間的始原のない世界がふさわしいとなろう。 一方、神がいれば、今悪い状態であることの因果を未来に良い状態がありうるからだと、未来に目を向けることができる。 ただ、これらはそう考えやすいというだけで、神がいなくとも、未来に補償があるという摂理がありうるならよく、そうすれば無限の因果の退行は必要なくなる。時間的始原はあってもよい。 では始原はどれぐらい昔であればいいのか? 因果を認識しうる意志が生じるまでの偶然の蓄積のための過去は有限でありうる。有限時間の偶然で意志は生じえないという立場もあるかもしれないが。ただいずれにせよ、始原があってもその時間的過去が問えるのは変わらない。因果応報の神は(または摂理は)「そのとき」のためにすべてを創造していた(している)とできるだろう。仮に異星人がいたとしても、異国の人間がいたとしても、自分達のために創造がなされたという理論は構築できるだろう。「私」が存在し(しばらくの間)生きてよい・生きてよかったと考えるから、そういう始原があると私はほとんど信じているといえる。