種別[gsm] 2022-11-12T06:50:23Z
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日時2022-11-12T06:50:23Z
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易理について少し考える。 一つは、粗視について。もう一つは、啓示について。…

jrf> 易理について少し考える。

一つは、粗視について。もう一つは、啓示について。

[cocolog:93808984] で占いが神に有利であることを確率的に示したが、これは占いをかなり粗視している。これは私のフラクタルと菩薩に関する考察のように、繰り込み時に情報が欠落することから、世界を語るときに粗視こそが本質的と言えるのかもしれない。これは占いを原理的に支えるものともいえるかもしれない。超ひも理論ではないが、粗視がうまくいくように世界が収束しているようなことがあるのかもしれない。

「精神異常者」による啓示の系譜みたいなものは、仏教にも不立文字の師伝などにありえるが、易においては、それは粗視が強要するかのように欠落しがちである。占いの技術面における師伝はあるかもしれないが。漢方薬において、その薬が何を意味するかが時代によって変わったりすることで、時代に対応したりできる面があるように、易でも蠱の意味が変わったように、読み方が変わることでの変化というのはあるかもしれないが、なかなかに難しい。「啓示」は(占い時の)一時的なものでしかなく、一時的であることを強制するのが易の特徴なのかもしれない。