経済シミュレーションの話。つづき? ……。…
jrf> 経済シミュレーションの話。つづき? ……。 なぜ企業の利益を最大化するよう最適化するか? 利益として上がったものを再び経済に入れるなら、なぜ利益を特別視しないといけないのか。 利益が上がることで資産価格が上がるようになる。すると、知的財産にも上昇圧力がかかる。知的に優れていくことが、社会を豊かにする。 ならば、知的に優れるようになることを最適化すればいいのではないか? そうしないということは、利益が上がることに意味があり、資産価格が上がることにも意味があるからではないか。 欲望が知識を増やすことの糧となる。それが人間という種の生きる戦略であり、それが社会に実装されている必要があるからではないか。 生産には運の要素が必ずある。それが利益に現れる。そこは言ってみれば「神の取り分」で、そういう部分があるからこそ貧者などへの分配に正当性を見出せる者もいるのではないか。 一方、社会が豊かになるというのは、贅沢品の消費量が増えることで表せる。その最大化だけではダメなのか? 資産価格がななかな上昇しないからダメなのではないか。資産の必要性は高齢者の生活を支える必要から導けるのではないか。労働と贅沢品の相関だけであってはならない…といったところ。 ……。 micro_economy_*.py は経済全体を扱っていると言える。企業は単なる企業ではなく、例えば贅沢品の企業群の生産条件を合わせたものが、贅沢品とみなせる部分の経済全体の構造をシミュレートしている…ということになるはず。 贅沢品・必需品・原料(と公共事業)の比率は、実経済を元に決めることができなければならない。しかし、商品や労働の単位は密接に絡んで簡単には動かせない。 仮にうまくマッチングできたとして、それが最適な条件の一つにはまっていなければならない。マッチングをある程度なしたあと、最適化の重み付けのパラメータを変えることで最適にする…ということをやるべきなのだろう。それが可能かどうかという問題はあるが…。