ゲームが永く遺って欲しい。「偉人」となって記念館が遺ればいいのでは?…
jrf> ゲームが永く遺って欲しい。「偉人」となって記念館が遺ればいいのでは? 「偉人」に私がなるより、他の誰かが「偉人」となったとき、記念館・倉・記録図書館が残りやすいよう盛り上げていくべきなのかな…。 ……。 ゲームをする…というか、ゲームを保存するのが本来の私の仕事という話。レトロゲームのおもちゃ屋にでもなりたいのか…と前書いたが、その他に、「貸出アフィリエイト」とか、[cocolog:89675814] でレトロゲームの経済とか語っている。ただ、それらは著作権法的に厳しかったり、仕入れの仕方が今とまったく違うものでならなかったり…でいまいち「違う」という感覚がある。 どこかに書いたはずだが見つからないのでもう一度書くと、一番良いのは、私が偉人となってゲームなどが記念館的なもので遺産として保存され続けること。そうなればゲームを保存するのに大きな貢献をしたことにもなるのではないか。 そのために偉人となるわけではないから、偉人となるためにも何かが必要なわけで、それがこの先私にはできるはずもないのが悲しいところ。もちろん、偉人となるのは私でなくても良く、偉人じゃなくても新しい(?)宗教とかが倉を持ってるとかでも良く、それに私が影響して残してもらうとかでもいいのだが。 「偉人」といっても、長い目で見ると、何かしたとしても時代の必然で大したことではなかったとなるはずだから、そのおかげで記念に遺る物があればそちらにこそ価値が出るのかもしれない。 そういう意味では、「偉人」に私がなるようなことを考えるよりも、他の誰かが「偉人」となったとき、記念館みたいなものが残りやすいように盛り上げていく、それにコミットしていくことが重要なのかな…と思う。