(承前) じゃあ、「許し」がなければ行動上の差別をするのか?…
jrf> (承前) じゃあ、「許し」がなければ行動上の差別をするのか? 行動上の差別をしていないように振る舞うには、私の場合、かなり理性的になる必要がある。「許し」がないなら、そのような理性を発揮して「平等に接する」よりは、単に、その人を避けるだろう。ある人を「理性的」に避けているなら、それは行動上の差別だ。 世の中には私から見ると聖人としか思えない人がいて、そういう人は問題ないのだろうが、私のような愚かで罪深い悪人は、「許し」への負い目でやっと理性的に行動上の差別をしていないかのごとく「平等に接する」ことができる。「許し」はとても大きなことだ。