[仏教の最適化プログラムの続き。] 災害のモデル化。…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 災害のモデル化。 予言が精緻でない場合、規模の概要値を見誤るという話であったが、評価するごとにランダムに変わるのは扱いにくいので、見誤り方が決まれば、それを記録しておく必要があるだろう。 規模の概要値には、害の大きさと発生確率があるが、簡単のために発生確率は見誤らず、害の大きさのみ見誤るとしようか? 基本は、結果としての災害の「割引評価値」だけが問題だから、それでいいのではないか…と思うのだが…。 ……。 災害には予算を割り振る。が、そもそも「予算」とは何か。 このモデルの経済システムには「寄付」という概念があり、その相手は国か宗教・僧かは混然としているという話だった。確かに集計すれば、「寄付総額」というのは計算できる。しかし、それに意味があるのか? ランダムに所得の3割が寄付または税として「徴収」されるが、そもそもの所得に景気のような概念はなく、経済が定常状態となれいば、「寄付総額」は単に人口の代理指標としての意味しかないものと思われる。 人口が減れば、対災害の公共事業にも金がかかる…とか言えそうだが、民主主義・資本主義社会を想定しているわけでないので、人足が足りなければ首に縄付けてでも連れてくるだろう。そこに経済に連動させる意味はあまりなくなる。 必要なのは、「予算の何割を使うか」…というより「国力の何割を割り当てるか」という話でしかないように思う。予算の額がどれだけかというのはあまり意味がない。…と思う。 また、この事実を補強するものとして、反逆の際、予算の浸透がよくなくなる…というのが、税の徴収がうまくいかなくなることも含めてであったことを考える必要がある。「寄付」がうまく受け取れないということが起こってるはずなのに、それの観測がほぼしようがないのだ。確かにうまく浸透しなかった予算は、裏で使われるなどして、国家レベルではひょっとしたらそれも観測できるのかもしれないが、それを金額的に表すことにどれほど意味があるのか。これも国力がうまく使えないというだけのこととするとスッキリする。 ……。 支配層から僧への支出…「寄進」についても似たようなことが言える。しかもそれに意義をもたせることができる。 「信仰理解」があれば国力から or 予算から、一定程度、僧に割り振ることになるだろう。しかし、僧の側でそれを何かに使うかと言えば使わない。いや、「実際」には寺を立てたり何かに使うのだろうが、それが経済や福祉に役立つことはないとする。支配層に「信仰理解」があることで「予言」は有利になる。しかし、「信仰理解」が高いことで「寄進」が多いとしても、それは無意味だ…ということにしたい。そのような「役に立たなさ」によって、僧の「捨て扶持」で生きる性格を表す…とできるのではないか。 このモデルに僧のモデルを入れるときは、死後の相続について僧の取り分を設定することになるだろう(1/10 ぐらい?)。しかし、そういう額を集計したものが何かの役に立つかというとここでも役に立つわけではないとする。もちろん、前に述べたように、死が増えることで僧を増やそうとはするかもしれない。しかし、それは相続総額に関係なく起こるとすることで、「捨て扶持」性を表す…ようにしようかと思う。