種別[gsm] 2021-04-04T20:51:33Z
セクショングローバル共有メモ
日時2021-04-04T20:51:33Z
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[仏教の最適化プログラムの続き。]…

jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。]

「来世がないのがよい」が、僧では、子供を作らないことがよいということなのに対し、一般には子供を作りそこに託すことがよいということになる…という違いがあった。

その違いはなぜ生じるのか? それは「来世がないのがよい」「生きなければならない」「自己を探求するのがよい」から導けるだろうか? どうも、そういうふうには思われない。

そこで考えたのが、僧が作られる理由がまず宗教的なものではないのではないか…ということ。具体的には、以前 [cocolog:89122076] で考えた社会生産の余剰すなわち「捨て扶持」で暮らすべきものとして作られた階層こそ、僧なのではないか…と考えた。

[cocolog:89122076]
>ある共同体を考えよう。そこは原始的…といっても農業をしている共同体で、カツカツで生活している。今度、生産性を増やすための機械を導入しようとして、その技術の習得をした者達が帰って来た。ちゃんと機械を使えるようになるのか不安なところ。…といったぐらいのストーリー。

機械の製作はいくつか成功したが、一つ失敗してしまう。そして失敗した分だけ、食料の生産が予定どおりに行かず、また機械の技術を習得する予定だった者が農業に戻るため習得に行けなくなり、その分機械の生産がさらに滞り、さらに生産が足りなくなり…といったスパイラルの可能性があると考える。

このようなスパイラルを防止するためには、余分な食料があったほうが良かった。そうすれば、機械の習得には送り出せたかもしれないから。もちろん、余分な機械でも良かったのだが、そこまでの余祐はまだないのだろう。

仮に失敗がなかったなら、余分な食料は必要なくなり、どういう形でか捨てられることになる。これを食料として与えられる者がいたらどうなるだろう? 「捨て扶持」で暮らす者がいたとする。そうすると、彼は「捨て扶持」が必要になると自分の食べる物がなくなって死ぬか、他に去るしかなくなるのだから、彼は必要になる事態が起きないようにするだろう。「捨て扶持」で暮らす者の存在が、どういう形でか破綻のリスクを回避するのに役立つ…と考える。

「捨て扶持」が必要なのはリスクがあるからである。ゆえに、生産しない彼が、「捨て扶持」そのものを増やそうとすることはその必要性を社会に認めさせるということで、社会にリスクを増やそうとすることとイコールである。ゆえに、彼は「捨て扶持」を増やそうとしてはならない。…とする。

「捨て扶持」が必要なものとして、彼を生産する者の仲間とみなすことはできない。なぜなら、そこを必要とみなすと、それは「捨て扶持」でなくなり、別のスパイラルを招くことになるから。だから、彼は社会の再生産に寄与しない。…とする。

農産物が足りなくなると、栄養状態が悪くなって、老人と子供が先に死んでいく。それらが「捨て扶持で暮らす者」だろうか…?
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このときは「老人」が「捨て扶持で暮らす者」の代表であると考えたが、今、ここではこれは「僧」ということになろう。

僧は捨て扶持で暮らす者である。だから、増えて再生産しようとすることが社会にリスクを増やそうとする行為に相当する。だから、増えて再生産することは否定される。これが、僧は、「来世がないのがよい」が、子供を作らないことがよいということになる原因であるということである。(僧が自らを増やそうとするのは、以前、メモに書いたとおり、「死者が増えることで得をした」と言われないためである。)

経済的要請が、僧にそれを強いる。そういう意味では社会が「生きなければならない」が僧という階層を作ると言えるのかもしれない。

ただ、この考えをどうモデルに取り込めばいいのか…。

大乗的な妻帯を許す僧システムだと、「捨て扶持で暮らす」とは想定してないのかな。僧も社会に必要で、再生産すべきもの…という認識なのだろうか。これは遠い先の「今後の課題」かな。