[仏教の最適化プログラムの続き。]…
jrf> [仏教の最適化プログラムの続き。] 戦争も災害のようなものでまず財産が問題となる。が、それは他者の集団に対してで、自分の集団に生命の害が出やすいとなるか。財産の多さでは単純には防げない…ということは他の災害は財産が多ければ防げるのか? 戦争やその準備で儲ける者もいる…。 でもやっぱり、戦争は、総合的に害の出る災害とするしか表せないのではないか? 様々なパラメータが動く長期に渡る一つのイベント。モデルにおける損益で論じることができるが、モデルで戦争が益と出るとき、逆にモデルの欠陥が浮き彫りになるような…。 ……。 王城の守りを固める。…というとき、このモデルでは公共財を増やすというより王の財産を増やし、財産の維持コストを増やすとなろう。税をとるが、それにより王の財を守るという形になるか…いや、税をとり公共財によって害が減るともせざるをえないからそれだけではないだろう。王を守ることを全体を守ることとするある種の思念は必要となるかもしれない。 王城の守りを固めるから、敵も守りを固める必要が出てくるということはありうるか。ただ敵だけが守りを固めるよりは良い。敵だけが守りを固めることがないのを保証できれば、利益がある。…とは言えるかもしれない。思念レベルを上げればそれが保証できるとする? ……。 公共財が十分なレベルになると生産に余剰が発生するようになる。それを生きる喜びを増す方向ではなく、王城の守りに使うようなことが是認できるか? 建築レベルを上げ、これまでできなかった公共財のレベル上げが解放されるみたいなシナリオはあるのかもしれない。 ただ、建築レベルや技能レベルと言ったところにまで、とりあえずは手を出したくないなぁ…。