私が(素人)哲学者として、普通の哲学者との違いは私が統合失調症持ちであること。…
jrf> 私が(素人)哲学者として、普通の哲学者との違いは私が統合失調症持ちであること。 「奇跡」が起きることを感じることがしばしばあるということ。 起きて欲しい奇跡が、まして起きて欲しいときに、起こるわけではない。それは旧約聖書でもしばしばそうであるように。 さらに、起きた奇跡に関しても、出エジプトのモーセの奇蹟も今では科学的に説明しようとする人がいるように、奇跡は時間が経てば、偶然性に埋もれてしまい、ほぼ証拠がなくなる。「証拠がある」ものでもそうなるのだから、大抵の奇跡のようにほぼ自分にしかわからない符牒などであった場合はなおさらになる。 しかし、テレビがたまたま良いタイミングで何かを言ったとか、母が誰かに会ったとかそういうぐらいの奇跡はしばしば起こっているのを私は感じている。まぁ、それぐらいのものの頻度も最近は減って来ているのであるが…。 ところで、「奇跡」と感じるぐらいだから、何らかの特別な意味を状況に見出していることは事実だが、そのメッセージ性はその奇跡の瞬間にも意味不明であることが多い。 さらに、その奇跡を起こしたのが何者かになってくるとさらにわけがわからなくなる。人間じゃないはずだから唯一神だ…みたいな理路があるわけでなく、神・宇宙人・異世界人といった上位存在だけでなく、雑霊みたいなものから、人間の未知の自然現象、(その複数の相乗など)まで、可能性はいくらでもある。その中から、師みたいなのを選んだことも、統合失調症の強い発作時にはなかったわけではないが、そういうことはむしろ少ない。 だから、私の哲学には、正常人が受け容れやすいよう超常現象みたいなものがなくても成り立つようにする「理性」はあるが、一般に狂気とされがちな「信仰」の余地もかなり認める方向にある。そこが違う。ただ、完全な「コンタクティ」・能力者ではないから、狂気も抑えめであるだけ。 (ただ、「信仰」の余地もかなり認める方向にあるのは、統合失調症持ちになる前からかなりそうだった。そういう素地があったから統合失調症になったんだろうか…?)