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[承前] jrf> 他者の死が「生きるべき」を構成することはないのだろうか。たんに「生きたい」だけでなく個々が犠牲になっても総体として長く生を続けていることにメリットがないだろうか? 反作用が「活かされてる」ところに、よりエネルギーを送るような「引力」がありうるのだろうか? そうすれば生をつなぐことに正のフィードバックがかかるのでは? ただ、現在、宇宙レベルで、そういうものがあるようには見えないが…。 二つの個体が総体として生きたいというとき、どちらかの個体を犠牲にすることで、もう一つの個体が生きられるようになるということはあるだろう。このとき、生きたくなくなったから生きるのをやめるということは認められなく、生きたくなくても総体として生きたかったのだから生きることが求められる。「生きたい」を保存しなければならない。それが「生きるべき」になるのではないか。 「総体として生きたい」を継続するための方法を探す。上の「引力」はないとしても、生きるための原料を探し取りに行くというのはある種の「引力」なのではないか。