『観無量寿経』を読んだ([cocolog:92083486])とき、>災禍にあえ…
jrf> 『観無量寿経』を読んだ([cocolog:92083486])とき、>災禍にあえば、正観ではなかったとなるか。「正観」のできる余祐のあるような金持ち・知恵者で、幸福な者からなるカルトを教団に中心に置く原理のようなものか。<…と書いた。 つまり、観音信仰の正体は「生存バイアス」ではないかという疑いを書いた。 しかし、もう少しよく考えてみれば、観音に祈る姿・真摯に救いを求める姿を見せることで、その子などが、人を救おうという「菩薩の心」をはぐくむことはあるだろう。 また、観音が助けるものの姿をとるとすることにより、助ける側が「助けたい」という本能が刺激されたとき(観音のせいにして)身分などの違いを越えて助けやすくなる…ということはあるのかもしれないと思う。一方、助けられた側は観音を拝むことになるが、観音を助けた人に重ねるから、決して助ける人を粗略にするわけではない。 そこは観音信仰に現世利益があるのだろう。