種別[gsm] 2020-07-24T20:02:46Z
セクショングローバル共有メモ
日時2020-07-24T20:02:46Z
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浄土の考え方が現れたとき昔の人が新しい浄土の考え方をなぜ信じれたか。または、現在…

jrf> 浄土の考え方が現れたとき昔の人が新しい浄土の考え方をなぜ信じれたか。または、現在の転生を信じない人やキリスト教徒などが浄土の教えに惑わないようにできないか。

涅槃に入るとは、魂のようなものが「ない」ようになることを肯定する面がある。浄土の教えは、涅槃に結局入るのを目指し、罪があれば目指めが遅くなるということは逆にそれが早くなるのは良いこととされている以上、早く寂滅しても問題はない。現代によく思われているように、死後の転生などないのだとしても、死人にとっての義理ははたしたことになろう。あとは仏教の善が、現出するかの問題ではないか。

浄土に行かなければ、悪は、現世で悪となる。転生してきた者が、その悪因で現世に悪を生じさせる。または、悪人が地獄に行かないとすれば、復讐心が現世をけがすが、浄土で少しは報いを受けるというので納得できるだろうか。(転生は薄めに信じて、)悪は現世で悪となると信じることで、他人の悪を現実に生じさせないようにしようとする動きがあった。それを弱めるおそれはあるかもしれない。

たとえ、浄土というものがなく、転生で地獄に生まれても、(浄土教以前の仏教が正しければ)それまでの「念仏」というものの「私」への無執着という特徴からの功徳がある。…などとはできるかもしれない。

また、浄土に入ることは、菩薩とならない限り、この世には帰らないことなので、この世に恨みがないことの表明ではあると言えるかもしれない。